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インタビュー 内容は英語に翻訳し英語ページにも載せております。

CITRON

オーナー

Mr. Mr. Jonathan Berguig

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外苑前にフランス人オーナーが経営するサラダカフェが誕生。サラダからキッシュ、グラタンなどメニューは全てフランス料理、それだけでなくスタッフもフランス人が多数!オーナーの愛情と日本に対する思いが詰まった、心温まるカフェです。
 
・来日してどれくらいになりますか?また、日本に来るきっかけとなったことを教えて下さい。
 
日本に訪れる機会なったことが過去2回ありました。1回目は2004年にフランスの証券会社で働いていた時、東京転勤になり3年間滞在し、その後ニューヨークへ転勤になりました。東京勤務期間中、いつも「何かが欠けている」と感じていました。海外駐在員としてここに来ていたので、いつも英語の話せる人に囲まれ、その心地よい環境を抜け出していなかったことが原因にあると思います。いつも同じ人とばかりお付き合いし、地域の人に溶け込めない感覚でした。ニューヨークには1年半滞在し、その後シンガポールに転勤しました。「自分で何か作り出したい」という思いがあり、その業界を辞めることになりました。
 
ベジタリアンとして数年生きている身としては、肉と魚を愛する東京にベジタリアンレストランを開店させたい、と思いました。東京で最初に感じたのは、レストランでベジタリアンのメニューを注文することがとても難しいということです。ある友人が、そのような経緯から自分でベジタリアンのお店を始めることを勧めてくれました。ビジネスプランを立て、資金計画を立て、そして最適な場所を見つけるのに2年間を費やしました。お店の場所を見つけてから、またいくつもの壁を乗り越えなくてはなりませんでした。フランス出身ということで、家主さんから拒否されることが度重なりました。本当はもう少し表参道に近いエリア、特に南青山エリアでお店を開きたかったのですが、家賃がとても高かったのです。現在の場所である外苑前は、1階部分は小さいですがその分、2階部分を広く安く借りることができるというメリットがあります。私たちにとっては好都合で、1階でサラダをオーダーし、そのままテイクアウトするか、混んでいなければ2階で食べることができるからです。外苑前はショッピングエリアからもオフィスエリアからもアクセスが良いことから、多くの集客をすることができています。90%のお客様が女性なんですよ。
女性と男性では食べ物の好みが全く異なります。女性は野菜好きでヘルシー志向ですよね。男性としてはランチにそれほどお金をかけたくない、またお肉やパスタを好みます。ベジタリアントレンドがまだそれほど浸透していないこともあり、私たちのお店では「ベジタリアン」というコンセプトを全面に出さないことにしています。
 
・日本以外では既にベジタリアントレンドが定着している都市もあると思いますが、なぜあえて日本を選択されたのでしょうか?
 
日本を一度離れた後、本当の意味で日本に住むために必ず戻ってきたいと思っていました。海外駐在員としての期間中は全くこの国で何が起こっているかを理解していなかったので、日本の文化を深く知りたいという思いがありました。
もちろんニューヨークやパリなどサラダバーが既に定着している都市の方が、簡単に店を持つことができたのかも知れません。開店当時、日本の多くの女性が器に山盛りのサラダを前に、目を丸くして驚いていたのをよく覚えています。日本人の感覚だとサラダは副菜であり、主菜としての位置づけがなかったからです。当時2015年は日本でサラダカフェが入ってきたばかりで、東京にはまだ2,3店舗しかサラダバーがありませんでした。ですからリピーターやサラダカフェのトレンドを浸透させるのに、少し時間を要することになりました。サラダの他にも、ここではキッシュやグラタンメニューもそろえています。
このお店のスタッフはフランス人が多いので、多くの方が興味を示してくださり嬉しいです。時々日本のお客様の中には、フランス料理店に対して堅苦しい雰囲気、ほんの少しの量がお皿に乗っている、というようなイメージをお持ちの方もいらしています。またフランス料理ではクリームやバターをふんだんに使うことが多く、ランチとしては重いですよね。でも私たちは日本とフランスの良い部分を融合したサービスを提供したい、と考えています。質の高いサービスと食事が日本とフランスの共通項にあると思います。
パリ10区では特にオーガニックやベジタリアントレンドが開拓されています。パリでは大手チェーンが営むサラダバーが何店舗もあります。アメリカやシンガポールに滞在する中で、サラダを主菜として食べる文化を目にしてきました。ですからいつかこのトレンドが東京にも来ることを予測していました。
 
・元々ベジタリアンでいらしたのですか?
実は6年前に犬を飼い始めたのですが、それがベジタリアンとなるきっかけになりました。犬と他の動物との境界線がよくわからなくなったのです。皆4本足で生きており、また言語を話しませんよね。心の一部が動物たちに対してオープンになった感覚です。犬を飼うということはとても特別なことであり、自分の人生を覆された思いです。犬の名前はレイモンドと名付け、とても美しいフレンチブルドッグです。毎週日曜日、このお店に来てお客様をおもてなししているのですよ!
証券会社時代は過労な生活を送っていましたが、現在はレイモンドと共にする時間が増え人生を楽しんでいます。
 
・日本ではベジタリアンになるということが難しいように感じますが、その点についてどう捉えていらしてますか?
様々な文化や地域に根付く食べ物に囲まれているので、一般的な日本人はベジタリアンではありません。フランスでは約3%の人がベジタリアンですが、おそらく日本では1%未満でしょう。
日本は島国ですから周囲を海に囲まれ、新鮮な魚介が手に入りやすい環境です。男性は肉や魚を好み、野菜はそっちのけです。ですから何とかしてこのお店を好きになってもらう工夫をする必要がありました。女性は野菜好きですが、どう調理していいかわからない、もしくは野菜を買う時間がない、という悩みがあります。さらに東京では野菜が高く、フランスと比較するとそれほど種類がそれほど豊富ではありません。例えばフランスにはリークという長ネギに似た野菜があります。でも普通のスーパーでそれを見かけることはありません。また調理すると長ネギとは全く異なる味になります。このお店では家で調理する時間がない忙しい女性のために、ヘルシーな食事を提供できるようにしています。
あそこのテーブルのお客さんをみてください。あのグラタンは予め朝用意しておいたものを、少し前にオーブンで温めなおしたものです。ですからオーダーが入ってからお客様をお待たせすることがありません。ヘルシーで調理時間も短い食事を提供できるのです。もし本当の意味でのベジタリアンをターゲットにしていたら、それほど集客は見込めないでしょう。でも私たちは「ヘルシーなお食事」をコンセプトにしているので、沢山の女性がヘルシー、かつオーダーしてからお待たせすることなく食べられるフランス料理を食べに訪れます。
 
・レシピはどのように考案されているのですか?
キッシュ、レモンタルト、グラタンなどを含め、全てのレシピは母親が考案したものです。母親はいつもシンプルでヘルシーな食事を用意してくれていました。2015年にこのお店をオープンした時、日本に来て料理をスタッフに教えたり、メディアに登場したり、記事に乗ったりしていました。私たちのシェフもフランス人なので、母親とレシピを共有して一緒に考えてくれています。私自身はシェフではないですし、シェフになることは不可能ですが、自分の強みはビジネススキルがあることと、ヘルシーな食事を人々に提供することをお客様に対して推奨していけることです。
メニューは毎月変わります。さらにキッシュメニューは2週間に1回変更しているので、結構大変です。八百屋さんとお話ししながら季節のお野菜をサラダに取り入れられるよう、メニューを変更するようにしています。ここに来てくれるお客さんはパリにいるような雰囲気を目的に来てくれているので、日本のお野菜を入れることはやめました。インスタグラムに投稿してくれているお客さんのコメントには、「まるでパリにいるみたい!」「パリに行きたいなあ。」という言葉が多くみられますよ。
 
2018年には大手町に第2号店をオープンします。この地域はあまりヘルシーなお店がないのですが、とても多くの人が利用するため、私たちにとっては素晴らしい場所となりそうです。高層ビルで働く銀行員の方も多くいらしてます。実はそういった方達に、既にこのお店からデリバリーサービスにてサラダランチをお届けしています。一度召し上がっていただいたお客様の中には、わざわざこちらに足を運んでいただく方もいらしています。
・日本人についてどのように理解していますか?
食べ物については、日本人は選り好みなく「全て好き」というところがすごいと思います。フランス人はそれぞれ独特の好みを持っています。例えば、僕の場合はきゅうりが大嫌いです。でもここでは私たちが提供するもの、全てを受け入れてもらえます。毎日2種類のスープをお出ししていますが、不思議なことにどちらも同じ量が売れます。お客様はいつもここの料理を召し上がって、とても幸せそうにしてくれています。
コミュニケーションについて言うと、少しありきたりな話になりますが90%のお客様はとても優しいです。もちろん、私たちのサービスは最高級レベルですが、お客様もとても良い方が多いです。パリ人は時によって気分屋です。日本のお客様は料理と空間を楽しみにここに来て、私たちの日本語は完璧ではありませんが、批判的になることなく、とても優しく接してくださいます。また文句が出ることもありませんし、選り好みも激しくありません。
実は以前は日本語を全く話せなかったのですが、お客様や期待値から沢山のことを学ばせていただき、だいぶ話せるようになりました。地域の日本人の方と日本語で会話ができるようになった、ということにおいて1つの達成感を得ています。もう1つの達成感は、このお店を通して人々に提供するお料理は、1匹の動物を殺さず実現できていることです。第2号店をオープンすることで、このベジタリアントレンドを少しずつ東京に広げていけたら、と思っています。
 
・次のステージとして何をしたいですか?
正直に言うと、まだ明確なゴールが今のところありません。でも外苑前のお店と同じ高品質のお店が大手町でも実現できるようにすることが直近の目標です。
全てのことに置いて今はとても満足している状態なんです。このお店のコンセプトをより多くの人に認知してもらうため、また来店してもらうためにプロモーション活動に力を入れる必要を感じています。1つひとつのステップを慎重に歩み、素晴らしいチャンス到来の判断ができるようにしていきたいと思っています。そのためには20189月に向けて確実に準備をしなくてはいけません。日本人とフランス人両方のスタッフを雇うつもりです。フランスの雰囲気を作り出すためには、フランス料理だけではなくフランス人スタッフが欠かせません。
現状、1週間休みなく僕は働き続けています。最後に休みを取得したのは、昨年の春に友達と1日ビーチに行った時でしょうか。あとクリスマス期間このお店をお休みにし、スタッフが親しい人とゆっくり時間を取れるようにしました。今あまり仕事以外で時間が取れなくなり、以前やっていたヨガもやめてしまいました。食べることが大好きなので、東京のベジタリアンレストランを巡っています。時間があれば、新潟にある飼い主のいなくなった犬や猫のために新しい家族を探す団体に協力したいです。このお店にはその団体に寄付する募金箱を設置し、お客様も含め皆で協力できるようにしています。

2017年02月27日 05:56 |コメント|

しかはま自然観察会 のらえもん

代表 古高 利男 さん

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しかはま自然観察会では定期的に子どもたちへ本物の自然に触れ合う機会を設け、自然の仕組みに気付き、驚き感心する中で自然を友達のように思う心情を深めようとしています。

学校という仕組みの外で、子どもと大人が一緒に自然に触れ合う活動を通し、何か私たちが大切にしてきたことを思い出させてくれる団体です。

 

・都会生活において益々自然から遠ざかっていく子どもたち。古高さんがこの活動を始めるきっかけになったのは何だったのでしょうか?

 

教員生活の中で、映像や活字のもっと奥にあるもの、つまり自然に触れることを通した活動も大切だなと感じるようになりました。また、自分の住んでいる地域の自然観察会に参加しており、この体験を子どもたちのために活かしたいと思うようになりました。もう一つの理由は、里地里山という言葉がありますね。ふるさとに帰省したとき、農産物をお土産として持って帰ります。野菜や米などの原材料の生産現場がふるさと、つまり里地里山なのです。のらえもんでは、そこにもっともっと目を向けて欲しいし、とても大切な場所なんだと気づいて欲しいと願っています。それを伝える場として、みなかみ町の藤原にフィールドをもうけました。

 

活動の最後に、子どもたちは必ず感想を書きます。ある小学生の女の子は「風が気持ちよかった!」と書いていました。のらえもんのイメージにぴったりです。、初めはゲームをもってくる子もいましたが、今はそのような子はいません。回りの子どもたち同士で、また先輩の子どもたちが上手に導いてくれています。子どもたち同士でのやり取りの方が、雰囲気がなごやかになり気持ちが通じ合うようですね。

 

・参加する親御さんはどういった想いをもった方が多いですか?

 

「自分も経験したい・学びたい」と考えている親がほとんどです。私たちは、ただ引率してくる親ではなく、子どもと一緒に活動をしてもらうことを目的としています。共通の体験を通してこそ、親と子の会話が双方向になると考えています。会費を払って子どもを預ける場ではなく、親子と子どもの参加型です。

 

・子どもたちにこういった体験をさせることで、変化が見られた子どもはいますか?

 

リーダー的存在の子が育ってきました。実は、学校に行けないお子さんです。でも、のらえもんの活動には積極的に来ています。初めは親が連れてきていたのですが、次第に変化してきました。今では、子どもたちの気持ちをくんで遊んでくれています。子どもたちからも、頼りにされています。おそらく、自分の気持ちを素直に出せる場と時間があることで、のびのび出来るのがいいのでしょうね。

また、学校間の壁のようなものがありましたが、今ではなくなりました。

 

みなかみ町藤原に、フィールドを設けています。そこではいろいろなバックグラウンドを持っている子も仲良くなります。うまく話せない子も不登校の子も、自然が仲介者となって、みんなが「のらえもんの子」になります。

ここにある古民家で、みんなで囲炉裏を囲み、ご飯とみそ汁と何か一品だけのシンプルな食事を用意し、「いただきます」を言い、会話を楽しんでいます。今年は地域にすこしでも貢献できるようにと、地産地消を試みました。

 

スキー教室では、最初の3年間はゲレンデに出なかった子がいます。その後は、自らゲレンデに出て、滑ることを楽しむようになりました。回りの参加者が変化し、みんなそれぞれの居場所が出来、安心と感じるのでしょうか。性格が明るくなり、受け止めが広くなり、前向きに活動できるようになってきました。

 

・実際の活動では、どのような様子・現場なのでしょうか?

 

田植え・稲刈り・注連縄づくりを毎年続けています。毎日食べるお米は「こんな作業によってつくられているんだ」と知って欲しいからです。保育園や幼稚園の先生方がたくさん参加してくれます。苗をもらって帰り、稲を育てる活動をしているのです。そして、一年の〆は「注連縄づくり」です。毎年人気が出て、今年は130人が挑戦します。この田んぼ体験は、茨城県常総市の宅間農園の協力をえています。

 

飼育活動も、のらえもんの重要な活動です。4月のカブトムシ、5月のカイコ、12月のサケです。会員にはもちろんのこと、幼稚園・保育園・小学校に配布し、子どもたちから大変喜ばれています。

 

古民家には4月・7月・10月に行きます。今年の夏は、古民家に30人で雑魚寝をしました。囲炉裏に火が入ると、不思議なことに、みんなその火に集まってきて話がふくらみます。

 

2年前には、「富士山に登りたい」という願いを、24名で実現させました。

自然を対象とした活動を重ねていくと、スタッフも会員も次のビジョンが膨らんできます。その願いを取り入れるようにしています。

 

・どんな方に参加して欲しいですか?

 

「参加してみたいな」という気持ちがあれば、「勇気の一歩」を踏んで欲しいです。与えられるものではなく、スタッフと親子とで作り上げていきたいと思います。

「本物体験」を心がけています。知識でえたもの「本物」を見る・聞く・触れるということを、いっしょにやっていきませんか。

 

・これから未来を担う子どもたち、どんなことを期待したいですか?

 

第一産業に携わる子どもがでてきたら、すごくうれしいです。第一産業に価値観を持って欲しいのです。

成熟社会といわれますが、普通に安心してご飯を食べていけることが未来社会においても中心にあるということです。そのためには、「毎日同じくらしが続く」という平和な時間を持続させていくことが最も重要です。平和な時間を持続させていく基盤は農業・林業・漁業にあることを、もっともっと気づいて欲しいですね。命が真ん中にあり、その回りに社会があるイメージですね。

http://www.geocities.jp/shikahama_noraemon/


2017年01月23日 06:18 |コメント|

福祉のセレクトショップ 伊勢屋

代表 藤代 洋行 さん

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人は過去を振り返り、それを語りたがる生き物。
でも過去の栄光や武勇伝に固執することなく、ただひたすら現在と未来を見つめ、自分と戦うことを考える人物に出会いました。

・障がい者のために仕事をつくる、ということをされているとお聞きしました。具体的にはどのような取り組みをしているのでしょうか?

企業において障がい者雇用をする際に、様々な課題が生じます。企業が障がい者を雇用する・しないいずれにしても発展の道を歩めるよう、コンサルティングをしています。そのためには企業を訪問し、現場は自分の目で確かめることです。

例えば、「STOP!転倒災害プロジェクトがありますので、バリアフリーを絡めたワンランク上の提案です。私の強みは、杖、車椅子、電動カートなど様々な視点からの提案ができ、細かい点も見逃さないよう理論的な根拠を軸にしているところです。

 

 

・藤代さんがこの事業を始めることになったきっかけを教えてください。

いろいろな障がい者との出会いの中で少ないですが、健常者を上回るような能力を持つ人たちがいることに気付きました。最初から決めつけて障がい者を下に見るのではなく、障がい者の能力を最大限に活かし、仕事を任せられるような専門的立場ととらえれば、世の中がよりうまくいくのではと思ったのがきっかけです

 

私はヒト・モノ・カネの観察するのが好きなんです。もともと税関で、麻薬、けん銃、コピー商品などの輸入が禁止または規制されている物品を最前線に立って監視取締、テロ対策、保税地域の管理者(企業)の監督、関税および消費税などの賦課徴収業務を行い、ヒト・モノ・カネの第六感を鍛えていました。

在職中からプライベートで、ある時は「越後のちりめん問屋」またあるときは「遊び人の金さん」として自ら潜入調査を行い、更に第六感の磨きをかけて自信を深めました。

すると人は肩書きや外見でしか見ていない、ということに気付きました。私は肩書きや外見という決まりきった枠から入るのではなく、実力で勝負したいと思っていましたので、過去のことはあまり語らないようにしていますいまの自分に自信がない人がやっている、まったく大したことがない自慢話や武勇伝なんかどうでもいいことなのです。

 

・日本ではまだ障がい者と健常者との関わりが密接ではないように感じています。藤代さんは障がい者と健常者との関わりがどのように変化していったらいいと思いますか?

障がい者側にも問題があると思います。健常者が話しかけた時に、話題の引き出しがないと話が続かないですよね。そうすると健常者が話題を探して話すということになり、健常者も話題の引き出しがないと結局「どうして障害を負ったのですか?」というトピックになってしまいます。また、「障がい者である」という肩書きで売るのではなく、自分の実力で勝負していく力強さを備える必要性があります。

あと、お分かりのように海外ではMay I help you?お手伝いしましょうか?)など積極的(未来)に聞いてくれる関係性ができていますよね。その点においては日本でも健常者やメディアの意識が変わってくれたらいいですね。

 

 

・藤代さんはピクトグラムアーティストとしてもご活躍されているのですね。このアートにより、どんな世界の実現が可能となるのでしょうか?

http://japan-iseya.com/cosmic/Diversity_Arts.html

ピクトグラムは通常1つの絵文字でできていますが、私はこれを2つ以上組み合わせて静止画・動画などにするアイデアを絵コンテにします。そして、デザイナーの石倉京氏に図形を組み合わせて作ったオリジナルのピクトグラムや静止画・動画などを作品にしてもらっています。

ピクトグラムアートは日本語・英語などの言語も関係なく視覚で何か(文章)を伝えることができますし、聴覚障がいの方、読字障がい(ディスレクシア)の方、軽度の知的障がいの方にも効果があります。上記のHPには私たちが作成したYouTube動画が掲載されています。音声を入れると視覚障がいの方にも対象となりますが、あえて音楽・音声など入れずに作っています。

 

ピクトグラムアートで実現可能な世界が2つあります。

1つ目は、ピクトグラムをイラストなどに置き換えたり、音楽・音声・文字など入れることで幅広いアート的分野での利用方法が生まれます。

2つ目は、Pepperデジタルサイネージでピクトグラムアートを発信した外国人観光客案内、東京オリンピック・パラリンピックなど幅広い活用ができます。

昔、トランジットのためある空港にてトイレに行こうと思い、聞いた方が英語や英語以外の言葉でも伝わらなかったことがありましたので、例えばトイレの前に男性専用、女性専用のピクトグラムがありますよね。それをピクトグラムアートによって、誰にも聞くことなくトイレ手前までの案内ができるようにしたいです。そうすると避難などの誘導・ルール・マナーなどにも転用ができます。

なので、対象は海外の方のみならず、障がい者、子供から高齢者まで幅広く考えています。

 

 

2017年、新たに何を始めてみたいですか?

またスポーツにも力を注ぎたいです。私にとっては仕事、アート、スポーツの3点セットが自分をつくる要素だと考えています。真似されるので、○○は記事にしないでほしいですが、常にやることがあってこなしている状況です。

 

 

・最後にメッセージをお願いします。

さすが門脇さんはプロのコーチングなので、質問力はメディアよりも神質問ですね。神質問があって神対応だと思います。
ダイバーシティ(多様性)といわれているのに
レッテルを貼った薄っぺらい記事や映像などを見た方はすごく視野が狭くなってしまいます。

女性、障がい者、外国人などいろんなレッテルを剥がし、見世物ではなく、人の能力・可能性をより多く見つける努力をしてほしいと思います。

http://japan-iseya.com/

 


2017年01月09日 07:05 |コメント|

アーティスト 小久江 峻さん

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北千住にあるアートスペース ココノカにて展示をしていた若きアーティストと出会いました。彼の優しい人柄が色や形になり、遊び心が作品に描き出されていました。そんなアーティスト、小久江さんのお話しです。

 

・小久江さんが東京藝術大学にて油絵を専攻することになった背景を教えて下さい。

両親ともにデザイン関係の仕事をしており、その影響もあり幼い頃から絵を描くことが好きで、幼稚園頃から絵画教室に通っていました。その後レゴ教室に行き電動モーターを付けた車を作るなど、かなり工学系に近いことも触れてきました。美術館に行き美術品を見て育った、というよりは「手で感じる」ことで育ったので、一番影響を受けた人物はNHKのワクワクさんでした。

 

美術予備校に通っていた頃、教えられていた写実的に空間を出す感覚が自分の感覚とぴったりくるものではありませんでした。

やがて油絵具に出会い、自由にテクスチャーや素材感を出せる所に自分の感覚がしっくりくるものを感じたため、自然な形で油絵を専攻することになりました。物を描くというより、画面の表情を作りながら描く、絵と自分が会話している感覚に近いです。

 

・音楽や空間をアートに取り込んで、一体となった作品が多く見られます。こういった影響はどこから受けるのでしょうか?

音楽に関しては、自分の頭の中で鳴っている音楽に近い音楽がなかったので、いつしか作曲をするようになりました。音楽とアートは地繋がりであり、何かを自分で作っていくことが好きです。

配色については、枚数を重ねるごとに白くなっており、それが自分の好きな色なんだと思います。描く形については「物の向こう側を描きたい」と思っているので、輪郭が段々なくなっていっています。うわべ付き合いが苦手で、芯の部分を見ている時間が自分の中で生きている実感をもたらします。形はないけど、確かに認識できる、というところに実感を得ています感情もその一部であり、それを絵の中では大切にしています。

 

絵は自由であり、生き物のような感覚です。他の作品媒体と違い、絵は1秒で見ることを止めることができる、という自由さが好きです。見る人によって自由に解釈が変わり、見る人に解釈がゆだねられる。ですから僕の絵は相手の声を聞き入れることができる絵を描くようにしています。絵には「口を持つ」だけでなく「耳を持つ」ことを意識していて、鑑賞者など外との対話を大切にしています。こちらから「何を伝えたい」ものを押し付けるのではなく、「見る人と対話する」ということです。

 

作品が出来上がってから「これが描きたかったんだな」と気付く感覚があり、絵をかいているプロセスで絵と対話しながら色を重ねていっています。日常にありふれている中で垣間見える些細な出来事、自分にとって大切な出来事などからインスピレーションを受け、描く題材となっています。良い意味で裏切られた瞬間、世の中こんなこともありえていいんだ、といったような絵にも裏切られたい一面があります。自分のイメージが固まりきって絵にする、ということではなく自分の想像を超えた絵を描けたときに、「ああ、できた」と感じます。完成が分かってしまっていたら、もう絵を描いていないかもしれません。

 

よく他人には「子供のまま成長してるね」とよく言われ、いい意味で絵も少し幼稚な部分があるかもしれませんが、それなりに年も重ねても来ていて、その時その瞬間にしか描けない絵を描く事を大切にしています。

 

・一番印象深い作品展は何でしょうか?

2016年10月のココノカでの作品展で、初めての自分の絵画だけの作品展となりました。一度自分の作品のみで勝負してみたいという欲求がありました。その中で作品をただ並べるのではなく、場所や作品の声を聞きながら自然と展示出来上がったのがよかったです。色々工夫も凝らして苦労した分、跳ね返りも多かったのでやってよかったです。

その展示を通して、最近の自分は以前よりいろんな部分を許せるようになりました。素材などこだわりもありつつ、絵と対話しながら許せる「あそび」の部分が増えたというように感じています。他の方からも作品が変わってきているね、というコメントをいただいています。人の成長と共に絵も変化し、それが面白い部分です。

 

・将来はどういった分野で活躍していきたいですか?

さらに様々な分野を見てみたいので、大学院進学も視野に入れています。絵画以外の世界からも自分の視点を掘り下げてみたいです。同じ絵でも白い壁と黒い壁で飾っているのでは違って見えますよね。それと同じで、自分自身を違う環境においてみたらどう見えるのか、ということを知りたいです。

その中で自分がどんな言葉をしゃべるのか、ということが気になります。何かを作るということに興味があるので、プロジェクトや企画をするのも好きです。遊び心がある、余白を残した企画を提案し、また自分が企画したものがどう変化していくのか、という先を見たい気持ちがあります。来年1月には無二無二という展覧会を学年全体でしますが、こういった共同で作ることで自分にはないものを取り入れることができ、それもまた楽しいです。

フットワークを軽く、柔軟に様々な視点で、物を作ることに携わっていく活動をしていきたいです。

 

・小久江さんの作品により、これからどんな影響を与えていけたらと思いますか?

様々な人達に新しい景色やアイデアを与えたいな、と思っています。普段の日常や見慣れた世界でも、視点を変えて見ればまた世界が違って映ると。そんな事を感じてほしいです。言葉に縛られると、一般的な常識に囚われてしまいますが、しがらみを取り払い、見方を変えることにより面白い側面があるということを、一緒に見てくれる人と感じたいと思っています。そういう意味で、絵の中だからこそ見える世界、というものも大切にしていきたいです。

 

http://shunogue.jimdo.com/

photo is by Jun Suzuki

 


2016年11月21日 06:23 |コメント|

株式会社西尾硝子鏡工業所

代表取締役 西尾 智之 さん

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銀座の中央通りに立ち並ぶ高級ブランド店や百貨店のガラス加工を施している企業があると聞き、その熟練の技を持つ職人集団をまとめる代表 西尾社長にお話しを伺いました。

 

1932年創業、鏡の製造工業としてスタートし、そこからガラス、加工、取り付けなど私たちが普段の生活でよく商業施設にて目にしている製品を作るようになったのですね。先代から現代への移り変わり、時間の流れと共に鏡・ガラス加工業はどのような道を歩んできたのでしょうか?

来年85周年を迎えることになり、私は3代目です。初代の祖父は三重県松坂市の出身で、浅草のガラス屋に丁稚奉公をし、毎日工場から眺める富士山を見ながら働いていました。トイレにあった鏡が黒ずんでおり、せっかく富士山を見て晴れ晴れとした気分なのに、気持ちが沈むと思い、もっときれいな鏡を作りたいという想いが全ての始まりでした。独学で鏡について学び、昭和7年に初期メンバー4人で鏡そのものを作る小さな町工場をスタート。当時鏡は高級品、いいものを作り喜ばれたいという純粋なモノ作りの原点でした。

 

満州事変の頃、贅沢品について規制がかかり、戦争開始と共に昭和18年から2年間事業を中断することになりました。それから三重県に疎開し、敗戦後すぐに東京へ戻ると、工場の跡地にガラスの屑山を見つけ「ここは自分の家だ」と確信し、また事業を立て直す気力となりました。

戦後、庶民の生活は鏡どころではなく、販売先は進駐軍。お金の変わりにチョコレートをもらい近所の子どもたちにあげていました。

祖父は父親に中学校の頃から技術を教える、ということをしてきました。経済の復興と共に、鏡だけを作るという高度成長の幕開けにそぐわない祖父の方針に対し、若き野望を持つ父親は疑問を抱いていました。

それに追い打ちをかけるように、今の大手ガラスメーカーが町の鏡屋を代理店にするということを始めました。父親は賛成だったのですが、祖父としてはなかなか時代の変化を受け入れることができませんでした。結果として昭和44年に代理店契約を結び、鏡を作る工場から鏡を加工していく会社に変化していきました。その姿を見ることなく、祖父は静かに息を57歳で引き取りました。

 

父親は24歳で跡継ぎとなり、また翌年がオリンピックの年ということもあり、世の中としても勢いがあった時期でした。一方、昭和40年には63社あった鏡会社が、代理店契約をしなかった会社はその後全て廃業しました。もし祖父の想いに固執してしまっていたら、弊社も残っていなかったかもしれません。

その後、バブルがあり装飾が脚光を浴び、ガラス業界の羽振りがよく「この業界はつぶれない」とも言われていました。いつも工場の明かりが朝まで消えなかったのを子どもの記憶ながら、明確に覚えています。

 

父親は忙しかったですが、静岡のクライアントへ納品にいくトラックに一諸に乗せてくれ、仕事の一面を見せてくれました。それを日記に書いて、小学校の先生から沢山お褒めのスタンプをいただいたのを覚えています。

父親は昭和58年から癌になり、結局平成42月に命を失いました。社長が9年間社内に不在の状態でもこの会社が残ったのは、周囲のお客様からの信頼が強かったのだと思います。

父親が亡くなる間際に2人きりで話す機会があったのですが、そういう時になると何も言葉が出なくなります。朦朧としている父親に対して、「俺が後を継ぐから心配しなくていいよ」と言葉を出すと、父親は右手を出して自分の手をぎゅっと力強く握ってうなずいていました。

 

私は当時26歳、バブル崩壊後で、この業界も急激に縮小している状態でした。

この会社に入ったときは、図面を読むことで営業にプラスになる。より付加価値のある仕事をしてほしい、と母親から言われました。一方では社員から「まずは現場だ」と言われ、両方やりました。職人の世界ではすんなり受け入れてもらえず、ストレスで酒が飲めなくなりました。その当時唯一自分を救ってくれたのは、仕事が終わってから夜間通っていた図面学校の仲間たちでした。同世代ということ、また会社の厳しい立場とは違うこともあり、その仲間たちとはよく飲みに行きました。

周囲の職人達に仕事を依頼できない立場であることから、生活のほとんどを仕事の時間に費やし、その状況を学生時代の友人、家族からも理解されずとても苦しんでいました。唯一、母親がバッファーになってくる存在でした。

 

こういった厳しい世界で生きてきましたので、「人を信用できない」という思いが今でも心のどこかにあります。それを捨てていかなくてはならない。また承認されずに生きてきたので、相手を承認することができないのです。

その承認ができるようになったのは、つい最近のことで、それまでは孤独の戦いでした。組織開発のコンサルタントに相談をしたとき、初めて自分が承認され、それだけでこれまでの苦労が終わった気分になりました。

社員からもコンサルタントからもいろいろと怒られましたが、だいぶ自分を客観的に見ることができるようになりました。嫌な自分が出ているとき、一旦深呼吸をし、5分間くらい考え、相手の何かいいところはないか、または「ありがとう、これよかったね」など相手を認める言葉を探すようにしています。こういう気持ちも自分の一部として受け入れたい。自分自身を否定するのではなく、自己承認しないと嫌な気持ちが残ってしまいます。

 

・モノづくりがまた流行してきている現代、次世代に託したいことは何でしょうか?

寝食を忘れてのめりこむのが大切だと思います。仕事に対してワクワクすること、お客様の笑顔やありがとう、に触れられる仕事であってほしいと思います。

感動とアイディアが結びつくと、どんどんよいスパイラルになります。

職人達にはその感動を伝えるように努めています。時々、納品先の店舗に連れていき、自分達の作ったガラスがどう使われているか、お客様の顔を見せることをしています。

また研修も大切にしています。異業種の人たちやいろんな生き方に触れ合い、レポートを書いてもらい、それを自分が承認しています。

基本である伝統的な技術や本質をきちんと受け継ぎ、お客様へ喜ばれることを高いレベルで引き継ぎたいです。

 

・御社がプライドを持っている技術は何ですか?

2つ特徴があります。

硝子の切った面を45度に切って気泡を入れずに接着する技術。

鏡の加工に関して、特に環境分野(太陽発電)など屋外の厳しい環境でも使えるように加工するという技術。

鏡の用途は業界ごとにいろいろ用途があるので可能性が広がります。

 

・クライアントから時には困難で不可能に近いオーダーもあるかと思います。そういった時、どのように対応していますか?

優しい仕事はありません。全く不可能と思えることもこちらから様々な提案をすることにより、可能な道へ導きます。かつ予算内でやらなくてはいけませんので、クライアントと密なコミュニケーションをとります。

弊社がチャレンジしているな、という姿を見せたいと思っています。チャレンジしているから、ちょっと聞いてみようかな、という感覚。それがなくなったら会社は終わりです。「この会社に聞くと、いいヒントがもらえるな」と言われたいです。お互いに学び、ヒントを得てそれこそが成長し続けることができる企業です。

 

 

・普通の企業と比較すると、職人を育成する、ということは難しいように感じますがどう社員に関わっていますか?

なるべくうなずき、返してあげる、質問するということをしています。また社員が話す時間を多くとれるよう、最低6割は話してもらう時間に充てています。こういったことにより、適当にとりつくろった会話ではなく、本音で話せる会話になります。

少し変化球で質問し、聞き続ける中でたまっているところを解きほぐしていくことで、問題の核心にたどり着くことができます。思っていることを探り、解決方法を一緒に見つけてあげる。社長と話す、ということで緊迫した雰囲気でスタートしますが、直属の上司をその場に置かないことで、安心して心を開くことができる場を設けます。

さらに一度だけの会話ではなく、アプローチし続けることが大切だと思います。

 

職人という点においては、職人は表現が下手です。なので質問攻めです。例えばビジョンを書け、と言われても書けません。でも思いはあるのです。弊社の理念を作るときに、社員全員で勉強会をしました。この会社で働きたい思った理由を過去、現在、未来の時系列で紙に書いてもらいました。その場にいる社員は受け入れることだけをし、否定はしません。その紙をカテゴライズすると、2つに分かれました。1つ目は自分の仕事を家族や近所の人に自慢できる仕事にしたい。2つ目は技術的なことで、弊社で働くことで素晴らしい技術を身に着けたい。この2つをまとめて1つの理念にしました。

「仕入れ先、家族に常に尊敬される会社にする。どんな難しい仕事も自分達の技術で解決する。」

 

どういったときにこの理念を使うかですが、自分の目標に向かって進んでいるか、ぶれていないか確認作業をするときです。今の仕事の仕方が、その目標から外れていないか。そんな時に理念に立ち戻ります。

理念はそらんじるくらい刷り込まれて、内部記憶にならない限り、目標は達成できません。自分の目標を書き出し、ぜひ口にしてほしいと思います。

僕は毎日朝礼で同じことを言っていますが、先日僕の物まねをする社員がいました。それくらい内部記憶になってくれたのが嬉しいですね。

 

・これからどんなことに取り組んでいきたいですか?

次のステップとしては海外に目を向けていくため、必要になる人材育成に力を入れたいです。業界で「若い職人が一番多い会社だね」と言われるようになりたいです。そのために私たちが柔軟な考えを持つことが大切です。

一環として工場見学を受け入れています。2018年には年間1000人受け入れたいという願望があります。ガラスのことを見てほしいというよりは、この会社を見てほしいという意識があります。あらゆる取り組み、職人の様子などを見て会社そのものに興味を持ってほしい。毎年全国から13校の中学生を受け入れ、モノづくりの現場を見てもらいガラスに触れてもらっています。SNSが流行し、「わかった気分になってしまう」というというのは危険です。あくまでも五感の世界ですので、後々記憶にのこるような体験をしてほしいです。先日、10年前に工場見学にきた学生さんから電話をもらい、ガラスについて質問を受けました。そんな時、やってきてよかったな、と思います。

 

http://www.nishio-m.co.jp/company/


2016年11月07日 05:45 |コメント|

アートスペース ココノカ

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北千住に古民家をリノベーションしたスペースを利用し、アート展示スペースを運営する学生団体があると聞き、やってきました。古民家の再活用がブームとなる中、その空間にアートを展示することでどういった効果があるのか、そこに関わる学生はどんなことを感じているのか、探ってみました。

 

・どういった経緯でココノカの運営を始めることになったのでしょうか?

初期メンバーが、ココノカの建物のリノベーションに関わっていた団体から「ギャラリー運営やってみない?」とのお声かけをいただき、「それだったらやれるかも、やりたい」という思いで3,4人のメンバーで始めました。その後LINEにある複数の美術学校グループ内で呼びかけ、現在の13人のメンバーが集まりました。

 

今年3月から本格始動し、4月オープンに向けて準備を進めました。初めの頃は展示スペースを使ってくれる人が集まらず、メンバー達の自己負担で運営していましたが、今は展示予定が埋まりつつあり、資金も集まるようになってきています。築75年の物件なのですが、古民家の良いところをそのまま活かして展示できるように工夫しています。

 

都内のギャラリーは利用料が高く、私たち学生の作品発表の場は多くないのが現状です。学生のために安い料金で展示・イベントができるスペースを貸し出す、また、何かやりたいことや試したいことがある人に使ってほしい、という目的で運営しています。もちろん地域とのつながりを作ることも強く意識しており、北千住に多く残る銭湯など地域にゆかりのある文化を紹介し美大生とのコラボレーションを実現するような企画、北千住の街を学生たちが撮影し、それをココノカで展示する写真展などもココノカ主催で開催しました。

 

メンバーは多種多様なスキルを持っており、リーダシップが得意な人、企画が得意な人、デザインができる人、物件修繕ができる人など、それぞれの強みを活かせる形にしています。クラウドファンディングも行い、集まった費用ではクーラーを設置することができました。

 

実際に運営し始めると社会人経験がないため、ビジネス運営の部分で試行錯誤する部分があります。また学校との両立という意味では、当たり前ですが思ったより大変でした。

しかしながら、全てにおいてココノカを運営してみてよかった、と感じています。例えば問題が起こったとき、視点が違う意見をどう取り入れていくか、社会に対してどう接していくと受け入れてもらえるか、ビジネスパーソンとして責任を取ることの重要さ、など日々勉強になることばかりです。

 

今は13人のメンバーすべてが代表という位置づけで、フラットな関係性で運営できるようにしています。メンバー間では普段の会話など運営以外の話もしたり、お互いの学校情報を交換したり、プライベートを知ることで友達や仲間という感覚も大切にしています。

 

 

・北千住という場所をどうとらえていますか?

親しみやすいです。東京なのに「東京東京」していないのがいいですね。例えば近所の方たちとも挨拶などのやりとりが普通にあったり、人の温かみを感じます。

一方、利用されていない古民家がまだ眠っているのが勿体ないと感じていますので、こういった形などで運用されていったらいいなと思います。

 

・多様なアートが存在する日本、アートの在り方をどう理解していますか?

所謂、“わかりにくい“ものが大学の中でも多く、写実のような作品を作っている人は少ないと思います。そういった作品が社会に出た時、受け入れてもらうのが難しく感じますね。「やっぱりスルーか」という感覚があります。

抽象表現などは素通りで、グラフィックなどわかりやすいところに行ってしまう人が多いです。

 

ただ「なんか色きれいだな、かっこいいな」「これ家にあったらいいかも」ということなど少しでも何か感じてもらえたら嬉しいです。

 

相対的にもっと大勢の人に見てほしいと思います。例えば、生活に近いカジュアルな音楽番組は多くあるのに対し、そういった美術番組は日本にほとんどありません。面白いことをやっているアーティストは沢山いますので、それをもっと気軽に知ってもらいたいです。

 

・実際に足を運んでくれたお客様からどのような反応が見られますか?

「こんなところにあるの、知らなかった」「また来ますね」「仕事帰りにふらっと立ち寄りました」など、とても嬉しい反応が多いです。地域の方はもちろんのこと、展示テーマやアーティストの繋がりから遠方よりお越し下さる方もいます。

 

 

・これからどんな取り組みをしていきたいですか?

ココノカを長期的に運営するために、後継者を探しています。できれば大学2年生主体で運用できる体制をつくりたいです。今のメンバーは、これから卒業制作や就職活動がありますので、そろそろ代替わりしたいな、と考えています。そのための募集企画をSNSで発信しています。もっと一般大学の方が入って下さると、すごく嬉しいですね。内部では仕事の整理をして、引き継ぎをスムーズにできるようにしています。

また自分達のアートを展示することにも力を入れたいです。

 

メンバーとはココノカだけで終わらない関係性であればいいですね。社会に出た後も、ここで構築した基盤や信頼関係を基に、何か困ったときすぐに依頼できる関係性を継続できれば、と思います。それぞれのメンバーの強みをお互いに吸収しあい、自分の能力として活かすことができればさらにいいと思います。学校というボーダーを超えて関わり、1つの目的をもって行動できることに喜びを感じています。

 

・最後に読者にむけてメッセージをお願いします。

何より見に来てほしいです!北千住にお越しの際はぜひ気軽に立ち寄ってください。

皆さまのお越しをお待ちしています。

 

https://kokonoka.localinfo.jp/

 


2016年10月31日 19:25 |コメント|

有限会社feel

河合広大さん

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河合さんに初めてお会いした時、kikkakeガレージで金物を駆使しとある会社のロゴを真剣な表情で作っている最中でしたね。その集中している様子と、出来上がるパワフルな作品にとても魅力を感じました。河合さんが金物を扱う仕事に至るまでのストーリーを教えて下さい。

 

Feelという会社を父親が立ち上げ、11期目を迎えました。僕は5年前に入社しました。Feelでは飲食、アポレル店舗特注金属加工品や、丁番や鍵などの既製品を取り扱っています。金物問屋という職種です。初めはブローカーという立ち位置で自社製作、取付けは行っておりませんでしたが、僕が入社した時から製作や現場に出向き取り付けもやるようになりました。

実績としては、スタバ、マック、魚民、サイゼリア、モンテローザ、上島珈琲など、直近ではシェイクシャックの外苑、恵比寿、国際フォーラムの3店舗もお手伝いさせていただきました。

 

2014年からは、airbnbの運営代行会社「zens」(http://www.zens.tokyo/) の立ち上げに参画、現代表の町田君、一級建築士の横山さんと共に「日本を元気にする」という思いの元、最適な空間作りに尽力

その中で得た、経験と知識、また周囲に認知されるという時間が新たなお仕事につながり、建築士やデザイナーの方から直接ご依頼を頂くことも多くなりました。

こちらのお仕事は直接製作〜取付けを行うことが多く、実際に使用するお客様と顔を合わせてお話することも多くあります。

https://www.behance.net/gallery/16344003/Tokyo-Art-Room-Identity

 

父親の会社を継承する、と聞くと用意されたレールに乗ってしまえばいいように思いますが、なぜあえて斬新な作品を作ることに踏み切ったのでしょうか?

 

前職は不動産業の営業職で、その後3間ほど金属加工工場で働きました。不動産ではその当時勢いのあったアプリ開発企業や、ITベンチャー企業と取引がありました。取引先や私が所属していた47株式会社も一人一人に会社を思う精神があり、アイディアやモチベーションの高さがあり、とてもスピード感のある毎日をおくりました

そこから職人という180度別の世界に入ったので、あらゆる箇所においてギャップを感じました。

営業職では、どんなに時間をかけても成約しない場合があり、逆に少し時間をかけただけで成約できる場合もあります。でも職人は手を動かした分、確実に成果につながります

また生活スタイルも異なり、職人は非常に規則正しい生活をしています。

ただ作っている物に対して愛着が持てなくなり、完成した時に「喜び」という感情が存在しない、ということに気付きました。地道にルーティンワークをし、きれいな作品を作り引き渡し、クレームが来なかったらとりあえず安堵、それだけなんです。ですから職人の「向上したい」という気持ちがなくなる。自分がいいな、と思う以上にクライアントが喜んでくれたらそれは嬉しいですが、そういったフィードバックが直接職人に渡ることがないのが根源にあります。

 

こういったことからクライアントと直接関わりを持ち、嬉しいという声を聴くために建築業界とは異なる分野での「ものづくり」を始めました。

金属加工工場に所属している時は、就業時間が終了した後、工場の端材を使い友人や知人に家具を作ったり、代々木公園で開催されていたフリーマーケットへ製作した什器、小物を出品していました。

自らが製作した品物を直接手渡す、今思えば、この小さな行動が初めの一歩だったと思います

 

 

先ほど「愛着が持てなくなる」とおっしゃってましたが、技の面では作品に向かう時、どんなことに配慮しながら作っていますか?

 

クライアントから送られたデザインを実現可能にするために指摘・提案しながら一緒に考えていきます。作り手からデザイナーに提案し、イメージを具現化できるように関わります。頭と気持ちが大切だと思っています。できない、と思ったらできません。イメージできるレベルのことであれば、大体実現できます。現場で分らないことも、もちろんあります。でも作業する日までに頭を動かし、可能にしていく頭と気持ちが大事なんです。さらに成長していくためには考える時間を短くし、現場で瞬時に判断できるレベルにしたいですね。

 

意識していることは、デザイナー目線に近い形で作る、ということです。完成に至る途中経過で、確認作業をしたくなる時があるでしょう。でもそれをしていては、なかなかスムーズに進みません。だからある程度、スタート地点でデザイナーと同じ価値観で物事を理解する目が不可欠です

そのためには最初の打ち合わせで確認作業を念入りにし、質問を繰り返し、相手の返事から好みや傾向を読み取ります。それを反映させて、あらゆる箇所にその好みや傾向を適応させるということをしています。

相手本位になりすぎず、でも自分を主張しすぎてもいけない、このバランス感覚を持続するように心がけています。

 

 

今後はどんな新しいことに取り組んでみたいですか?

 

人の育成に力を注入していきたいです。特に職人さんたちはマインド面での育成が必要になりますマインド面で一度人間として完成してしまったところは、変えられない部分が大きいです。職人さんは機械的に毎日同じルーティンで生きていて、誰が喜ぶ顔を見るわけでもない世界です。結果的に心が乏しくなります。そうなる前の過程を作らなくてはならない。大事なのは高度な技術力ではなく、マインド面での向上心です。どう自分を発信し、相手にどう伝わってるかを理解し、人に魅力を伝えていくことを継続していけるか。

 

自分が面白いことやっているんだ、ということを実感できる道しるべを作りたいです。この会社に入ったら、ここまでしか仕事の幅がない、という限定された世界観ではなく、自分で面白いこと、新しいことはどれだけでもやっていける、と感じてほしいです。

 

そのために僕がこういう価値観で生きている、ということを認知してもらい、それに共感してくれた人とは長い間仕事ができる関係性になる、と考えています。全然違う業種の仲間と事業を起こして何かトライしてみることで、行動幅が広がり発見できることもあります。

 

これでもいろいろ迷いながら生きてます。自分の長所や独自の判断でやってきたやり方が、父親の会社に適応できるかどうか。でも新しいことを始めるのを恐れず何でもやっていけたらと思っています。

 

ただあまりチャラいことはやりたくないと思っています。「かっこよすぎない」ところが大切で、他者から見て僕らが幸せ過ぎたらダメなんです。そういった意味では職人という言葉が社長より有利に働き、現実的でまともな人生を送っているという印象を持たれます。ただ現実的すぎると価値がないですよね。職人ならではの立ち位置を大切にしながら、そこに付加価値を付ける。「職人として見てたのに、こんなこと言うんだ」という驚きがあることが嬉しいです。

 

ただ、職人はデザイナーではないので、どんなにきれいなものを作ったとしても、クライアントに気に入られるまでは仕事が終わりません。だから皆、厳しい顔して取り組んでますよ。

このような地味な仕事なのに、職人たちに楽しいと思わせるようにもっていかなくてはいかないので、難しいです。言葉や表情ではごまかせないし、言い訳できない世界ですからね。

 

最後に読者へ向けてメッセージをどうぞ

今の仕事がつまらないと感じているなら、一度職人になってみませんか?

 


2016年10月24日 06:10 |コメント|

特別レポート

多世代交流「デイサービス&保育園」施設  みんないっしょの一歩&いっぽ

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埼玉県上尾市に知人がデイサービスと保育園の複合施設を開設した、と聞き見学に行ってきた。高齢化社会、保育園不足問題、この2つの問題を1つの施設で解消するような取り組み、一体中ではどんな様子なのだろうか?高齢者と子どもとの関わりの中で、何が起こっているのだろうか?

 

施設代表者の阿部裕一さんは元々、埼玉県の別の場所にデイサービスを運営することから始めた。「子ども達が高齢者と関わることで、優しい気持ちを育むことができる」ということを聞き、目標としていたデイサービスと保育園の複合施設開業の現実化に至った。

 

施設の中は広々としていて、銀行が入っていた建物をリノベーションしたのだとか。

キッチンから高齢者、子ども達のスペースまで仕切りが一切なく、フラットで明るい空間の全てが一度に見渡せるのが特徴。

 

朝の挨拶では子ども達を囲むように高齢者の方が座り、子ども達の名前が1人1人読み上げられ元気な声で「はい」と返事があると、高齢者の方々にも笑顔が広がり、拍手が起こる。

 

訪問日が8月最終日だったので、夏の終わりを締めくくるBBQイベントがあり、準備はスタッフと高齢者の方との共同作業。聞けば認知症の方が6割とのこと、それを感じさせないような雰囲気があり、手元も軽快に野菜を包丁で刻んでいた。

「これじゃあ網から落ちちゃうわよね~」なんてお互いに指摘し、認め、褒め合い、会話と笑いが絶えない。

 

その傍ら、今期最後の水遊びを終えた子ども達が元気に走り回る。キッズスペースは設定されているものの、「あれ、Aくんまた行っちゃったわね」というように、高齢者の元へ走って遊びに行きまた戻ってくる、という行き来が自由な状態。

「最初は心配だった面もあります。でもスタッフが見守る中で高齢者と子ども達が自由にコミュニケーションをとることができるようになってきました。」

と語ってくれた施設スタッフ。

 

スタッフのスキルは多様であり、またそのスキルの高さに驚かされる。

「こういった複合施設だからこそ、多様なスキルを持つ人材が必要だったと思います。」

立ち止まるスタッフは1人もおらず、皆自主的に仕事を見つけ、かつ子ども、高齢者の境なく関わることができている。

 

お昼近くになると高齢者のための体操が始まる。また子ども達がボールを持ち前で体操するのに合わせて、高齢者もニコニコしながら体を動かしていく。

 

今回の訪問から感じたことを以下にまとめる。

・高齢者が子ども達を見守ることが、社会において必要とされている意識を高める。

・子ども達が保育士という領域を超えた世代に関わりを持つことで、いろんな世界を見て楽しみ、積極的にコミュニケーションをとる子になる。

・高齢者と子ども達が共存する空間には、温かさ、心地よさがあり、それが優しい心を育むことに関連している

 

9月から認可保育園になったとのこと、益々今後の発展に期待したい。そして日本にこのような新しい取り組みをする施設が増えることにより、核家族化、高齢化、保育園不足などの課題解消につながるだろう。

 

http://reha-ippo.net/minna-issho/access.html


2016年10月18日 05:28 |コメント|

株式会社AMAZING DESIGN

代表取締役 塚本ユージさん

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足立区という場所で普段からよく目にするロゴ、マップ、ポスター、ガイドブックから小学校の音楽の教科書までデザインを手掛ける人がいる、と聞いてやってきました。塚本さんのデザインにより沢山の子ども達、ワクワクを忘れかけた大人達まで笑顔になる、そんな絵を目にすることができました。

 

・塚本さんから最初に名刺をいただいたとき、「昔はミュージシャンだった」と記載があり、そこからどのようにデザインにシフトしていったのか、とても気になりました。その点についてお話し願いますでしょうか?

音楽をやっていたのですがなかなか思ったようにいかず、26歳で結婚を機にミュージシャンを辞めて、初めて就活することになりました。未経験でも歓迎してくれるジャンルで絞ったところ、IT会社のWebサイト作成に係る仕事に応募してみました。でもパソコンもできませんでしたし、作品と言っても大学時代デザイン専攻でしたので描きためておいた作品しかありませんでした。「パソコンもできないし、ちょっとこれじゃあ難しいね」とあっさり面接官に言われてしまいました。偶然、その時部長がふと部屋に覗きに来てくださり、「絵が描けるならパソコンできなくてもいいよ」と言われ、その場で採用が決まりました。もしこのタイミングがずれていたら、デザインへの道は閉ざされたままだったので、本当に部長との巡り合いがあったことに今でも感謝しています。

 

・ミュージシャンからいきなりPCを使うWeb関連の仕事にシフトし、最初は大変でしたでしょうね。当時は、どんなことを思いながら進んでいましたか?

家に帰っては夜の空き時間にできるバイトを探していました。デザインに夢中というより、新婚でしたので余った時間でお金を貯め経済基盤を安定させることばかり考えていました。さらにはバンド時代のことを引きずっていて、精神的にはへこんでいましたね。思い描いていた自分になれなかったことに対し、その事実を受け入れられない自分が居ました。

毎月自由に使えるお金はわずかでしたが、バイトでお金を稼ぐ計画は辞め、当時は職業的に直接関係なかった経営、マーケティング、経営者層向けの雑誌など様々な本を購入して読みました。起業するまでの3年間、継続して読み続け、読んだことを実践すると結構面白い方向に進むことや、上手く行くことがあり、そこで本の面白さや成長する自分がいることに気付きました。

 

その後、子供が産まれ3年間3社の会社勤めをしましたが、これ以上給料が上がることが期待できず、また子供といる時間を長く取りたかったので起業しました。

起業することに対して怖さはありませんでしたが、周囲からは止められましたね。でも僕はやってみてから考えようかな、という意識でした。最初の頃は自ら営業をするという考えがなく、とにかく「問い合わせこい!」と心の中で毎日祈っていました。不思議なことにそれでも問い合わせが来るもので、それに応じてアポをとり会いに行くということをしていました。

ただ、ホームページはどうしたら問い合わせくるかと試行錯誤し、毎日いろんな箇所を更新していました。過去3社渡り歩きましたが、全てデザイン会社ではなかったので、知識がない分自分で考え学びながら工夫する、ということを繰り返していました。

あこがれている会社はウォルトディズニーです。「人に夢を与え、感動させる」ということが現実になっていますよね。以前は音楽でそれを実現したいと思っていましたが、今はデザインでそれを人々に届けたいと思っています。今回、アンジュールというキャラクターを立ち上げたことにより、自分が思い描いていた「人を笑顔にしたい」を実現できると思っています。

 

最初の会社でお世話になった部長さんに当時、自分の描いた絵を持っていくと、普段はポーカーフェイス気味の方なのに、満面の笑みで喜んでくれました。実はちょうど半年くらい前に彼から連絡があったのですが、まだ自分としては退職した身分だったので気まずいと思っていましたが、彼は社長になっていて、「座右の銘に入れる絵を描いてほしい」と頼まれ、描いて持っていくと当時と同じ顔をして喜んでくれました。そこで「恩返しができたかな」とようやく思えました。

 

・塚本さんの描く絵が、人を思わず笑顔にさせるほど優しく、想いあふれる絵なんでしょうね。ホームページを拝見したところ、子供向けのアートイベントを多く開催されていらしているご様子ですね。ユージさんのアートを通して、子供たちはどのような心を育てていくことができるのでしょうか?

遊びを通して子供たちの想像力とデザイン力をはぐくむ場を提供する」ということを目的に、イベントを運営しています。

1つ目は、想像力(imaginationを育てることで、他人の心を想像し、自分の未来を想像する力を付けること。

2つ目はデザイン力(creativeを育てることで、泣いている子がいたら、自分も共感して悲しみ、さらにその後自分がどうしたらいいかという行動をデザインする力を付ける。例えばその子にハンカチを渡してあげるなど。また将来なりたい自分になるためには、どう行動していくか考える力を付けること。

デザインやアートには正解がないので、想像して楽しむという場数を踏み自分の大切な物、価値観を見つけていくことで、しなやかに生きる力がつくのでは、と思っています。

 

また大人になってもこの想像力とデザイン力を忘れないように育んでいく、という狙いもあります。現在はまだアートを楽しむということを主体にしていますが、そこにどういったエッセンスを吹き込んでいくか、ということが今後の課題です。

アンジュールにも実は「毎日もっと自分らしく、ハッピーに。」というテーマがあるので、世の中がハッピーになれば自分の子供もハッピーになる、と思っています。いくら自分の家庭だけでしっかり教育していても、外的要因で子供は簡単に影響を受けてしまいます。

 

人間、誰しも価値観が違いますよね。いじめも他と少し何かが違うから、という理由で発生します。でも「人はみんな違う」という基礎を、アートを通して伝えられたらいいですね。例えば作った作品を友達同士で褒め、承認し、違うことを認め合うというプロセスが大切だと思います。異なる価値観の人と自分は共存している。世界はその集まりでできているんだ。ということを体験してもらいたいです。

 

自分の子供の教育現場を見ていて思うのは、「現代の子は窮屈な教育を受けている」感覚です。個性がありもっと自由であっていいのですが、それがいつの間にか「ここはこの色で」というような指導を受け、先生の指示に従うのが当たり前の教育を通し、同じような子が完成してしまいます。学校が民間の面白いことをやっている企業を呼び込み、選択肢を広げていくことで子供にいろんな興味を持たせる必要性があると思います。

学校も行くか、行かないかというだけの選択肢だけではないと思います。子供に学校という場所以外の選択肢を増やしてあげたいです。

 

・塚本さんのアートにより、世界にどんな影響を与えたいですか?

基本的に笑顔の連鎖を広げていきたい、というところは同じです。毎日、少しでもいいので幸せだな、じぶんらしく生きていいんだ!ということを感じてもらいたいですね。そのため、アンジュールの「絵コトバシリーズ〜きっと大丈夫〜」があったり、自分の居場所を作り出してくれるグッズや絵本などで、毎日を歩くのがしんどいなと思っているような人を応援したいです。

 

真面目に生きている人が生き辛い時代の中、特にいじめている人、いじめられる人、それを黙って見ている人、家庭環境が良くない子、それを取り囲む大人を対象に何か影響を与えられたらいいですね。

アンジュールは実はこうした想いがあって生まれました。今後は絵本を作成し、さらに歌も作りライブを通してメッセージを発信していきたいな、と思っています。

こういった対象の方が、何か勇気を持って行動を起こすきっかけになれば、と思います。

アンジュールの正式名「unjour d’enfance」は「子どもの頃のあの日」という意味です。子供の頃に誰もが持っている「素直な心やさしい気持ち」を子どもはもちろん、元子どもたちにも思い出してほしい、という気持ちで作りました。

誰もがもっているけど、ただ忘れちゃっているだけなので。
 

・塚本さんにとってデザインとは何でしょうか?

実は正直、僕の中で好きな絵だけを描いているとか、かっこいいデザインするとかは必須ではないんです。

毎日に疲れてしまっている人、まじめ過ぎて生きづらい人、内向的でじぶんらしさを出せないでいる人たちがのびのびと過ごしやすい毎日を送れるようなきっかけや動きを、デザインを通してできればいいな、というのが本音です。

絵、言葉、音楽も手段であり、それらのメディアを通してみんなが素直で思いやれる気持ちを思い出して、一人ひとりの毎日をじぶんらしく、ハッピーになってもらえたら、それが最高のハッピーエンドですね。

 

・これからはどんな新しいことにチャレンジしていきたいですか?

アンジュールなど、自分が本当にやりたかったことを実現させていきたいです。

実は現在「約束の木」というプロジェクトを考案中なのですが、クリスマスツリーのようなワクワクした気分を持ち、自分と約束したことが目に見える形で飾れる木を考えています。その木を学校や病院、家庭などいろんな場所に導入したいです。こうなりたい、という強い思いは現実化すると思いますので、それを木で表現しその願掛けを集めさらに他人に優しくする、という心が生まれる効果があると思います。悲しんでいた人が元気になり、またその周囲の人が元気になるという小さな連鎖を作っていけたらいいですね。

 

http://amazing-design.co.jp/

http://unjour-denfance.com/

 


2016年10月04日 06:25 |コメント|

絵画教室ルカノーズ  
千人仏プロジェクト

代表 三杉レンジ さん

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圧倒的な迫力と何かのメッセージを放っている絵の集合体に出会ったのは、東京国際フォーラムでの展示でした。被災地の方が描く仏像の絵を1000枚集める、という「千人仏プロジェクト」。この偉大なプロジェクトの中心にいる人物にお話しを伺いました。
 
◆「千人仏プロジェクト」とは何でしょうか?
このプロジェクトは被災地の仮設住宅を、たくさんのアーティスト(絵画経験者)が継続的に訪問し、被災者に心の交通整理、治療法と言われる「写仏(仏を描くこと)」の手ほどきを行い、最終的に被災者の手で描かれた写仏木炭画を1000枚集め、震災を後世に伝えるシンボルとなる「現代の千人仏」を完成させ美術館で展示します。被災した方々みんなで壮大な目標を共有し、心の復興を目指す現代アートプロジェクトです。
 
■「千人仏(千体仏)」
〜京都の三十三間堂「千体千手観音立像」で知られる「千体仏」の慣わしは、古来より、飢饉や天変地異によって大きな被害を受けた時に、死者の霊を慰め、その冥福を祈るとともに、二度と天災が起こらないようにと、仏に加護を念じ、千人の法体を刻み祈ったというもので、全国各地で行われてきました。
 
 
 
◆三杉さんの経歴と千人仏プロジェクトを始めるきっかけを教えてください。
 
 美術大学を卒業した後、グラフィックデザイナー、広告代理店等で数年間働きました。
しかし、絵画に携わっていたいという気持ちから、中高の美術教員となり15年ほど都内の中高一貫校に勤務しました。
 そして、2006年頃に近所のカフェで月に1回、社会人絵画講座を趣味のようなかたちでスタートしたところ、社会人に教えるという高いハードルが面白くなり、2009年に絵画教室をスタートしました。
 
 東日本大震災より1年が経過した2012年、あるご縁で有限責任監査法人トーマツの方とお会いし、「仮設住宅の中にとじこもっている方のために心のケアとして絵画で何かできないか」という相談を受けました。
 そこで、画家としては絵を描く喜びをお伝えするのが何よりかと思い、「千人仏プロジェクト」の企画書をトーマツに送りました。
 
 
◆「仏像の顔を描くことで、被災地の方の心のケアになってもらえれば」という言葉がNHKの報道で流れていました。実際描いていくうちに、被災者の方の心の中にどんな変化がみられるのでしょうか?
 
 最初のワークショップは2012年に仮設住宅の一部で開催しました。
現地に提案した時は、まだ震災から1年しか経っていないことから、「まだ心が混乱している」「仏像を描くということが重すぎる」など賛否両論でした。しかし、実際に取り組んでみると「描いているうちに心が穏やかになった」「亡くなった主人に似てきた」など静かな気持ちになって集中する、日々のことを忘れることができる、という反応がありました。仏像の穏やかな顔をお手本に描くと、ご本人の顔も次第に穏やかな顔になるような気がします。
 現在では皆さんおしゃべりや冗談を交えながら、明るい雰囲気で楽しんで絵を描いています。
 
 僕自身はいつも教室で生徒さんに指導するときと同じ感覚で関わっていますが、違うところはテクニックを指導するというよりはコミュニケーションを楽しもう、楽しんでもらおうと努めています。前のめり気味に余計な事までしゃべって、~コミュニケーションを届ける~ことを意識しています。
 女性スタッフの中にはとても親身になり、おばあちゃんたちと意気投合して盛り上がって爆笑するシーンも見られます。
 
 
・作品を各地で展示することで、何を伝えられればと思いますか?
まずは絵を見て、そのまま感じていただければよいと思います。
 被災した人たちのみの手で描かれた1000枚の仏像の顔、 それは被災した人たちが吐き出した心の垢であり、自画像でもあり、仏像に込められた願いでもある、そういった作品のバックグラウンドを知るとさらに様々なことを感じ、考えていただけるのではないかと思っています。
 
 
・この活動が今後、どのようなことにつながればいいでしょうか?
最終目標は100年後にもこの震災の記憶を風化させないシンボルになること、という気持ちで取り組んでいます。
 
 ちなみに、この1000枚の巨大木炭画のことを「ドキュメンタリー絵画」と呼んでます。
 もちろん映画の主役に当たるのはこれを描いている被災地の方々。そして、アーティスト、美術の先生、カメラマン、デザイナー、表具師、ウェブデザイナーなどなど、僕たちは裏方ですがドキュメンタリー映画のようにあえてスタッフクレジットに名前を出してやっています。
ボランティア活動というと、無記名でやるもの、とご批判もいただきますが、参加してくれる方々が適材適所、プロの仕事として名前を出してプライドを持って関わることでここまでの完成度と継続が可能となっています。
 
特に、自分たちの技で被災地のお役に立てることが嬉しいと協会を上げて協力しくださった日本の匠たちの組織、東京表具経師内装文化協会の会長を始め、大勢の職人の方々のお力は何より大きかったと思います。
 
 
・アートを通しての社会貢献、三杉さんの作品とそれを見た方の反応からこれからも必要なんだな、ということがよく伝わってきます。今後はどのような活動をしたいですか?
 
 社会貢献という言葉になると重苦しいイメージに感じますが、もっと身近で楽しいものがアートだと思います。心を豊かにしたり、ストレスを発散したり、たくさんの方々とのコミュニケーションを与えてくれたりと、アートの専門家としてアートの可能性を深く考え、広げていく活動をしていけたらと考えています。
 
 
 
千人仏プロジェクト完成までカウントダウンが始まっています。完成の瞬間を見たい方、下記のサイトをお見逃しなく。
千人仏プロジェクト http://senninbutsu.com/
絵画教室ルカノーズ http://www.lukanose.com/
*この記事は宗教団体とは無関係です。

 
2016年09月26日 06:39 |コメント|

KADONA

株式会社KADONA

【電話】
03-3870-5520

【事業内容】
企業及び個人へのコーチング
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