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インタビュー 内容は英語に翻訳し英語ページにも載せております。

株式会社西尾硝子鏡工業所

代表取締役 西尾 智之 さん

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銀座の中央通りに立ち並ぶ高級ブランド店や百貨店のガラス加工を施している企業があると聞き、その熟練の技を持つ職人集団をまとめる代表 西尾社長にお話しを伺いました。

 

1932年創業、鏡の製造工業としてスタートし、そこからガラス、加工、取り付けなど私たちが普段の生活でよく商業施設にて目にしている製品を作るようになったのですね。先代から現代への移り変わり、時間の流れと共に鏡・ガラス加工業はどのような道を歩んできたのでしょうか?

来年85周年を迎えることになり、私は3代目です。初代の祖父は三重県松坂市の出身で、浅草のガラス屋に丁稚奉公をし、毎日工場から眺める富士山を見ながら働いていました。トイレにあった鏡が黒ずんでおり、せっかく富士山を見て晴れ晴れとした気分なのに、気持ちが沈むと思い、もっときれいな鏡を作りたいという想いが全ての始まりでした。独学で鏡について学び、昭和7年に初期メンバー4人で鏡そのものを作る小さな町工場をスタート。当時鏡は高級品、いいものを作り喜ばれたいという純粋なモノ作りの原点でした。

 

満州事変の頃、贅沢品について規制がかかり、戦争開始と共に昭和18年から2年間事業を中断することになりました。それから三重県に疎開し、敗戦後すぐに東京へ戻ると、工場の跡地にガラスの屑山を見つけ「ここは自分の家だ」と確信し、また事業を立て直す気力となりました。

戦後、庶民の生活は鏡どころではなく、販売先は進駐軍。お金の変わりにチョコレートをもらい近所の子どもたちにあげていました。

祖父は父親に中学校の頃から技術を教える、ということをしてきました。経済の復興と共に、鏡だけを作るという高度成長の幕開けにそぐわない祖父の方針に対し、若き野望を持つ父親は疑問を抱いていました。

それに追い打ちをかけるように、今の大手ガラスメーカーが町の鏡屋を代理店にするということを始めました。父親は賛成だったのですが、祖父としてはなかなか時代の変化を受け入れることができませんでした。結果として昭和44年に代理店契約を結び、鏡を作る工場から鏡を加工していく会社に変化していきました。その姿を見ることなく、祖父は静かに息を57歳で引き取りました。

 

父親は24歳で跡継ぎとなり、また翌年がオリンピックの年ということもあり、世の中としても勢いがあった時期でした。一方、昭和40年には63社あった鏡会社が、代理店契約をしなかった会社はその後全て廃業しました。もし祖父の想いに固執してしまっていたら、弊社も残っていなかったかもしれません。

その後、バブルがあり装飾が脚光を浴び、ガラス業界の羽振りがよく「この業界はつぶれない」とも言われていました。いつも工場の明かりが朝まで消えなかったのを子どもの記憶ながら、明確に覚えています。

 

父親は忙しかったですが、静岡のクライアントへ納品にいくトラックに一諸に乗せてくれ、仕事の一面を見せてくれました。それを日記に書いて、小学校の先生から沢山お褒めのスタンプをいただいたのを覚えています。

父親は昭和58年から癌になり、結局平成42月に命を失いました。社長が9年間社内に不在の状態でもこの会社が残ったのは、周囲のお客様からの信頼が強かったのだと思います。

父親が亡くなる間際に2人きりで話す機会があったのですが、そういう時になると何も言葉が出なくなります。朦朧としている父親に対して、「俺が後を継ぐから心配しなくていいよ」と言葉を出すと、父親は右手を出して自分の手をぎゅっと力強く握ってうなずいていました。

 

私は当時26歳、バブル崩壊後で、この業界も急激に縮小している状態でした。

この会社に入ったときは、図面を読むことで営業にプラスになる。より付加価値のある仕事をしてほしい、と母親から言われました。一方では社員から「まずは現場だ」と言われ、両方やりました。職人の世界ではすんなり受け入れてもらえず、ストレスで酒が飲めなくなりました。その当時唯一自分を救ってくれたのは、仕事が終わってから夜間通っていた図面学校の仲間たちでした。同世代ということ、また会社の厳しい立場とは違うこともあり、その仲間たちとはよく飲みに行きました。

周囲の職人達に仕事を依頼できない立場であることから、生活のほとんどを仕事の時間に費やし、その状況を学生時代の友人、家族からも理解されずとても苦しんでいました。唯一、母親がバッファーになってくる存在でした。

 

こういった厳しい世界で生きてきましたので、「人を信用できない」という思いが今でも心のどこかにあります。それを捨てていかなくてはならない。また承認されずに生きてきたので、相手を承認することができないのです。

その承認ができるようになったのは、つい最近のことで、それまでは孤独の戦いでした。組織開発のコンサルタントに相談をしたとき、初めて自分が承認され、それだけでこれまでの苦労が終わった気分になりました。

社員からもコンサルタントからもいろいろと怒られましたが、だいぶ自分を客観的に見ることができるようになりました。嫌な自分が出ているとき、一旦深呼吸をし、5分間くらい考え、相手の何かいいところはないか、または「ありがとう、これよかったね」など相手を認める言葉を探すようにしています。こういう気持ちも自分の一部として受け入れたい。自分自身を否定するのではなく、自己承認しないと嫌な気持ちが残ってしまいます。

 

・モノづくりがまた流行してきている現代、次世代に託したいことは何でしょうか?

寝食を忘れてのめりこむのが大切だと思います。仕事に対してワクワクすること、お客様の笑顔やありがとう、に触れられる仕事であってほしいと思います。

感動とアイディアが結びつくと、どんどんよいスパイラルになります。

職人達にはその感動を伝えるように努めています。時々、納品先の店舗に連れていき、自分達の作ったガラスがどう使われているか、お客様の顔を見せることをしています。

また研修も大切にしています。異業種の人たちやいろんな生き方に触れ合い、レポートを書いてもらい、それを自分が承認しています。

基本である伝統的な技術や本質をきちんと受け継ぎ、お客様へ喜ばれることを高いレベルで引き継ぎたいです。

 

・御社がプライドを持っている技術は何ですか?

2つ特徴があります。

硝子の切った面を45度に切って気泡を入れずに接着する技術。

鏡の加工に関して、特に環境分野(太陽発電)など屋外の厳しい環境でも使えるように加工するという技術。

鏡の用途は業界ごとにいろいろ用途があるので可能性が広がります。

 

・クライアントから時には困難で不可能に近いオーダーもあるかと思います。そういった時、どのように対応していますか?

優しい仕事はありません。全く不可能と思えることもこちらから様々な提案をすることにより、可能な道へ導きます。かつ予算内でやらなくてはいけませんので、クライアントと密なコミュニケーションをとります。

弊社がチャレンジしているな、という姿を見せたいと思っています。チャレンジしているから、ちょっと聞いてみようかな、という感覚。それがなくなったら会社は終わりです。「この会社に聞くと、いいヒントがもらえるな」と言われたいです。お互いに学び、ヒントを得てそれこそが成長し続けることができる企業です。

 

 

・普通の企業と比較すると、職人を育成する、ということは難しいように感じますがどう社員に関わっていますか?

なるべくうなずき、返してあげる、質問するということをしています。また社員が話す時間を多くとれるよう、最低6割は話してもらう時間に充てています。こういったことにより、適当にとりつくろった会話ではなく、本音で話せる会話になります。

少し変化球で質問し、聞き続ける中でたまっているところを解きほぐしていくことで、問題の核心にたどり着くことができます。思っていることを探り、解決方法を一緒に見つけてあげる。社長と話す、ということで緊迫した雰囲気でスタートしますが、直属の上司をその場に置かないことで、安心して心を開くことができる場を設けます。

さらに一度だけの会話ではなく、アプローチし続けることが大切だと思います。

 

職人という点においては、職人は表現が下手です。なので質問攻めです。例えばビジョンを書け、と言われても書けません。でも思いはあるのです。弊社の理念を作るときに、社員全員で勉強会をしました。この会社で働きたい思った理由を過去、現在、未来の時系列で紙に書いてもらいました。その場にいる社員は受け入れることだけをし、否定はしません。その紙をカテゴライズすると、2つに分かれました。1つ目は自分の仕事を家族や近所の人に自慢できる仕事にしたい。2つ目は技術的なことで、弊社で働くことで素晴らしい技術を身に着けたい。この2つをまとめて1つの理念にしました。

「仕入れ先、家族に常に尊敬される会社にする。どんな難しい仕事も自分達の技術で解決する。」

 

どういったときにこの理念を使うかですが、自分の目標に向かって進んでいるか、ぶれていないか確認作業をするときです。今の仕事の仕方が、その目標から外れていないか。そんな時に理念に立ち戻ります。

理念はそらんじるくらい刷り込まれて、内部記憶にならない限り、目標は達成できません。自分の目標を書き出し、ぜひ口にしてほしいと思います。

僕は毎日朝礼で同じことを言っていますが、先日僕の物まねをする社員がいました。それくらい内部記憶になってくれたのが嬉しいですね。

 

・これからどんなことに取り組んでいきたいですか?

次のステップとしては海外に目を向けていくため、必要になる人材育成に力を入れたいです。業界で「若い職人が一番多い会社だね」と言われるようになりたいです。そのために私たちが柔軟な考えを持つことが大切です。

一環として工場見学を受け入れています。2018年には年間1000人受け入れたいという願望があります。ガラスのことを見てほしいというよりは、この会社を見てほしいという意識があります。あらゆる取り組み、職人の様子などを見て会社そのものに興味を持ってほしい。毎年全国から13校の中学生を受け入れ、モノづくりの現場を見てもらいガラスに触れてもらっています。SNSが流行し、「わかった気分になってしまう」というというのは危険です。あくまでも五感の世界ですので、後々記憶にのこるような体験をしてほしいです。先日、10年前に工場見学にきた学生さんから電話をもらい、ガラスについて質問を受けました。そんな時、やってきてよかったな、と思います。

 

http://www.nishio-m.co.jp/company/


 

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