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インタビュー 内容は英語に翻訳し英語ページにも載せております。

株式会社リアン

代表取締役 若木 秋子さん

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・若木さんが車椅子生活とのお付き合いを始めた背景を教えて下さい。

小学校1年生の時から車椅子の生活です。家の前を取り囲むブロック塀に登って遊んでいたところ、丁度私が登った時にブロック塀が倒れてきて、その下敷きになってしまいました。予測がつかない事故でしたが、車椅子の生活はちょうど30年目を迎えます。

 

・事故とは聞いていましたが、そのような予測のつかない出来事ですと、相当ショックでしたでしょうね。それからどんな道を歩まれたのでしょう?

学校卒業後、一般企業に障害者雇用で入社し総務・人事の仕事をしていました。この時期は、「障がいを持ちながら働く」ということについて、いろいろ考えながら人事の仕事に携わっていました。「障がい者だからここまでしかできない」ではなくて、「一人前に仕事ができる」ということを見せたいと思っていました。一般企業は障がい者に見合った仕事を選ぶ傾向があるのですが、私からすると足以外は健常なのでなぜ他の人と違う仕事しか渡されないのか、ということで不満に感じていました。仕事のできる/できないを本人のヒアリング無しに、一方的に判断されているようで不快感を感じていました。

 

大きな組織を動かすには、自分1人の力ではできません。そこで他部署との連携において、自分のパフォーマンスを最大限に発揮していくことで所属部署以外の周囲を変えていくことから始めることにしました。つまり人事部以外の人たちと親密に関わりを作ろう、と決めたのです。すると「意外と動けるんだね」と良好なフィードバックをいただくことができ、他の部署からお誘いを受けたくらいでした。しかし、やはり内部の環境は複雑な部分があり、なかなか変えていくことは出来ませんでした。仕事は経験しながら成長していく部分が大きいですよね。ですから枠にはめられた中ですと、一定以上には伸びません。

それでも改善した点としては、新卒でも障害者雇用が増えたという点です。結論としてストレスで体調を崩し、その会社は退職しました。

 

2社目では新卒採用のアシスタントとして入社し、とても理解ある会社だったので、自分が目指していた何でもできる総務部のゼネラリストを目指し、採用の仕事の傍ら総務部の庶務的な仕事も行っていました。その結果採用に係る、責任者レベルの仕事まで任せられるようになりました。当時は全国の学校を訪問するために、あちらこちらへ出張に行きました。その時は毎日充実感があり、楽しかったです。社内恋愛がNGの会社で、結婚を機に私の方が退職することになりました。

 

その後、何をしようか迷っていた時に「独立してみたら?」というお声かけをいただき、個人事業主として採用関係の仕事とバリアフリーの仕事をしていました。どちらかというと後者の方に興味を持っていただける方が多かったです。離婚と共に一度事業を閉め心機一転、株式会社リアンを立ち上げました。

 

・具体的にはどんなサービスを株式会社リアンとして提供していますか?

ビジネスコンサルをする中で企業様のご要望によっては、商品開発やサービス展開といった側面からバリアフリーに関するコンサルティングをしています。

 

例えば私たちの車椅子は、全てオーダーメードなんですね。こちらの車椅子は私の体のサイズにぴったり合う様作ってもらっています。私の場合、長時間乗っても負担が軽減できる、持ち運びをしてもらう方のためのことを考え軽量に、車椅子を押すところ(持ち手)をわざと短く作っています。私だけではありませんが、車椅子には、必要な機能だけではなくその方のポリシーやアイデアも詰まっています。

そのようなことから、『自分の車椅子で着られるウェディングドレス』の開発のお手伝いをさせていただきました。

結婚式でウエディングドレスを着る際、車椅子だと色々問題があります。全体のバランス、裾が車輪に絡まないか、など。企業によっては車椅子の上からウエディングドレスをすっぽりかぶせる、ということをしているところもありますが、それには違和感を覚えました。体の一部である車椅子を隠しているかのようです。このことは、車椅子自体ウェディングドレスに合わせてコーディネートをすることで、ウエディングドレスと一緒に映える物ができるということを提案させていただきました。

 

長く健常者と同じ場所で生活していたので、皆と同じように見てほしかったらなんとかそこに食らいついていかないといけない、という想いでこれまで生きてきました。でも中にはどうしょうもないこともあります。それをダメだ、と否定せずにちょっとした工夫をすること、そのことを受け入れることで、お互い認め合う関係できると考えています。

 

・健常者には全く気付かない点が沢山あり、若木さんのような存在が企業にとって必要なんだな、と感じます。現在はどんな事業を中心に動いていますか?

笑みlink(リンク)http://emilink.le-lien.co.jp/)というサービスを発展させています。きっかけは新入社員の頃、徹夜で飲みに行ったシーンにあります。私も一緒についていくのですが、2次会、3次会になると車椅子でも入れるお店を即座に探すことは難しいです。ファミレスでもちょっと階段があると、「あ、入れないね」ということで周囲のテンションが落ちるのを感じました。そんな時にさっとネットで検索して健常者も障がい者も一緒の付き合いができるサイトがあれば、と思ったのがきっかけです。

高齢者用、障がい者用、子連れ用というような縦割りのようなサイトではなく、それを一体にしたサイトを作りました。健常者の方にもぜひ見ていただきたくことで、「こういうところを気にするんだ」というところを気付いてもらいたい、と思っています。これを運用することで、選択肢があまりなかった障がい者の方に、「このお店意外と使えるんだ」ということに気づいていただき、気軽に外出しやすくなればと思います。

 

飲食店、美容院、宿泊施設などいろいろ掲載可能です。例えば美容院を利用するのには1件1件電話して、「車椅子でも大丈夫ですか?」と質問しなくてはいけません。そして車椅子がOKという条件を毎回説明しなくてはいけないのですが、それも面倒ですよね。申し込む時にこういう条件が必要です、といった掲載がお店側にあれば、私たちも出向きやすいです。

今は私が1つ1つのお店を回り、掲載をお願いしています。「うちはベビーカー、車椅子断ってるんだよ」というようにあっさり断られるケースもありますね。

 

またお店としては、スロープとエレベーター作ればいいかな、という発想しかありません。でも実際はトイレ設備、十分なスペース、補助犬OKか、など確認する必要があります。また駅でもエレベーターの出口からそのお店まで何分かかるかということも、自分の車椅子で調査して掲載しています。健常者の人と違い駅の出口が違うので、同じ最寄り駅からの所要時間やルートが異なります。そのようなことを調査して掲載をしています。

 

4年後のオリンピックまでにはなんとか英語版も作り、海外から来る方のために準備をしていきたいと思います。

 

・企業における障がい者の立ち位置をどう思われていますか?

障がい者の企業における立場としては、私はかつての女性の立場が近いかと感じています。

 会社の中のポジションとしては郵便物の仕訳のような雑用をされている方や第一線で仕事をされている方もいらしていますが、その格差があると感じています。

 

・普段生活していて、一番過ごしにくい場面はどこでしょうか?

これだけモノがあふれ、さまざまな場所もあるのに普通の人に比べると圧倒的に選択肢がまだ少ないです。利用できるところが限られています。

いまだにお店など、いざ行ったけど入りにくかったという思いをすることがあります。店員に声をかけにくい、自分のペースで見たいという想いもあり、また周囲と同じ感覚で接してほしい、というこちらの想いが伝わりにくかったりします

1人のお客さんという感覚で対応すれば、いい接客ができるのになあ、と感じることがあります。また、「障がい者はお客さんではない」という態度を見せる方もいます。障がい者は買わない、という思い込みだと思います。日本はこういった面で遅れていると感じています。

また腫物に触るように接する人が多く、障がい者慣れしていないのがよくわかります。

障がい者がもっと外出することで障害者が社会の一員となるきっかけになるのではないのかと考えます。とはいえども、外出はあれこれ乗り継ぎ、店への連絡など考えると、とてもエネルギーが必要なことです。笑みlink(リンク)でその部分が軽減できればいいな、と思います。

 

今はこの活動を加速していくために、私と一緒に営業・調査をしていただける障がい者を含むボランティアスタッフを募っています。

 

笑みlink(リンク)で小さなお子さんがいるママがもっと楽に外出できるようになれればとも感じています。
 

・最後に読者のみなさんにメッセージをお願いします。

自分の可能性に対して、自分でふたをしないでほしいな、ということです。車椅子だから、子供がいるから、ということでチャレンジしないのはとてももったいないです。

ここまでこれたのは、自分の殻を破ってチャレンジし続けてきたからだからと思います。勇気を持ち、いろいろチャレンジしてほしいな、と思います。

私の殻の一つとして実は人と話しをするのが苦手ということがありました。話せないけどやってみよう、とある時思い立ち、思い切って話してみるとできることがわかりました。そのことから今の自分、10年後を考えたとき、もっと成長したいと感じたというのがきっかけでした。こういったことが大切なんだと思います。一歩自分を外に出さないとなにも始まらないです。なかなか一歩が踏み出せない方は、一歩踏み出すことで世界が変わるのでぜひやってほしいと思います。

 

http://emilink.le-lien.co.jp/

 


2016年09月19日 08:21 |コメント|

有限会社小林建板  東京都板金工業組合

代表取締役 一級板金技能士 

小林 繁 さん

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東京大神宮に夏の青空に届くような、気持ち良い金づちの音が朝から響き渡ります。まだ新品で反射が美しい銅板を、1枚1枚丁寧に屋根に取り付ける作業をしている小林さん。
 
「すぐそこに見える結婚式場の入り口屋根、僕が昔徹夜で作ったんだよ」と誇らしげに語ってくださいました。風鈴の音色を背景に、神社の境内にてお話しを伺いました。
 
 
 
・小林さんとは今年8月に東京国際フォーラムで開催された「ものづくり匠の技の祭典」でお会いしたのがきっかけでしたね。実演では、戸袋を作るために銅板を使い全て手作業で形を作り、表に釘が見えないように鱗状につける作業を見せていただきました。
 
小林さんがこの業界に携わるようになったきっかけは何ですか?
 
僕は会津の出身で、農家で育ちました。今ではあまり見ることのない、かやぶき屋根の家でしたね。5人兄弟の真ん中だったので、長男と違い家業を継ぐなど地元で仕事がなかった時代でした。だから手に職をつけるために、上京し最初は大田区にある親方のところで5年修行、1年はお礼奉公をしました。その間は1カ月2回しか休みがありませんでしたね。
 
その後独立してもすぐにはお客さんがいなかったので、飲み歩いて営業をしました。家にいても仕事は来ないから、自分も信頼し相手も僕を信頼して好きになってもらう関係作りから始めたのです。お酒の場だと本音が出て、嘘をつかない関係性ができます。
 
 
 
有名な場所ですと、鶴岡八幡宮の絵馬を飾るところ、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテン、鎌倉の鳥居など作ってきました。東京駅修復にも携わりましたが、2メーター以上の高いところは規則上、僕の歳ではもう登ってはいけないのですが、技術を備えた若い職人がいないので、自己責任で引き受けました。
 
 
 
こういったことから若い人にもっと技術を磨いてほしいという思いがあり、現在は訓練校でも教えています。今年は20名生徒がいて、8名の先生が教えています。国家検定は1年に1回ですが、最低10年以上の実務経験がないと合格しませんし、4回受けても合格しない人もいます。寸法、きれいな見た目が審査の基準となる厳しい世界です。
 
 
 
昔の技術を正確に残していかないと、次の世代が見た時に昔の人の仕事は下手だ、と思われてしまいますよね。ただやみくもにやっていい、というわけではなく、次世代に残せるものを作らなければいけません。そのためには自信を持つことが大切、と20代の生徒に伝えています。来年は外人さんにも教える予定です。ベトナムやミャンマー出身の方が多いですが、東京に住みながら国家検定の資格を取り、母国に技術を持って帰りたい人がたくさんいます。
 
ただ現状は職人達が皆教えたい意志があるのに対し、それに聞く耳をもたない世代を目の前にしています。
 
 
 
僕は屋根ならできない素材はないです。石、かやぶき、銅板などなんでもできます。
 
こういった屋根を残そうと思っても、今では施せる場所が減ってきています。
 
鎌倉に古我亭(http://kamakura-koga.com/)という鎌倉3大洋館の1つがあり、現在は回修しレストランになっていますが、そこの屋根を作りました。実は工事に携わった人にしかわからない細工も沢山あります。
 
 
 
・長いご経歴と建築物においての時代の変化がよくわかりました。そんな中、「苦労をしたな」という時期はいつどんなことでしたか?
 
過ぎたことは苦労だと思っていません。
 
24歳の時に屋根から落ち、背骨を折り入院しました。その時、結婚しようと思っていた彼女と別れてしまい、それが一番辛かったですが、まあそれくらいですね (笑)。
 
修行をしていた時期がつらかった、とよく若い方は言われますが、僕は全くそう感じていません。技術を学ばせてもらい自分が成長していけるのですから、これほどありがたいことはありませんよ。苦労と感じる頃は、まだまだ修行が足りないです
 
 
 
・現在では主にどんな建築物で小林さんの仕事が見られるのでしょうか?
 
築地など各地いろんな場所でよく古い家を見てもらうと、随所に僕が施している技術があります。でもだんだんと数が減ってきています。それは技術を理解している人が減っているのも原因ですし、そういった建築物が減っていることも原因にあります。
 
 
 
東日本大震災があったときは、仮設住宅を作るために福島に行きました。今年の熊本の震災にも行きたかったのですが、少し遠かったので断念せざるを得ませんでした。
 
また、東京のお得意さんから信頼していただき、宮島にいるご家族のお宅の修繕をご依頼いただいたこともあります。「仕事をいただく」ということは、とにかく信頼関係が一番大切だと思います。
 
 
 
・普段お仕事で板金を扱われている際、どんなお気持ちで材料と向き合っておられますか?
 
自分が思うようにデザインを作り、自由自在に型を作っていけるところが面白いです。
 
僕にも実は間違いはたくさんありますが、それも他の人にはわからないように細工をして直せるのがいいところです。
 
既製品を使うのは職人の恥です。自分で全てパーツを作り、仕上げるのがプライドです。
 
現場の状況を見て、寸法を測り見た目がきれいで直線が通るように合わせていくことが技なのです。例えばこの屋根も7段に分かれていますよね。これは日本の風習「7・5・3」から来ていて、縁起を担いています。
 
仕事は面白いと思ってやらなくては長続きしませんよ。そのためにはやる気と自信を持ち、何事にも取り組むことが大切です。間違えても正していくことができれば、間違えてもいいと思ってます。
 
 
 
「絵にかいて、図面に描いて」ではわからない技術があります。現場で実演を見て、自らの体を動かして覚えないと伝わったと言えないのです。
 
僕ももっと若ければ、海外に行き現地の技術を教わりたかったですね。
 
銅板など厚みのある材料を使っている技術を現地の職人さんから教わりたいです。
 
アジアにはたくさんそういった職人さんがいます。
 
 
 
僕は各地に行くと、すぐに屋根が目についてしまいます。その線をみて職人さんの技術がすぐにわかります。来週からは千葉県中央区にある大巌寺(http://www.tesshow.jp/chiba/chiba/temple_chuo_daiganji.html)をやります。貴重な建築物に触らせてもらえるのはありがたいですね。
 
 
 
・小林さんのような熟練の技を持っておられる職人さんが、現場からいなくなった日が心配です。これから必要になってくることはどんなことでしょうか?
 
うちには弟子がいないのですが、訓練校で教えるということで自分の技術を引き継いでいくことでしょうか。そして、その技術を施せる場所が必要です。
 
マンションばかりではなく、伝統文化を残しその価値がわかるような形態が必要です。
 
例えばあの灯篭でも外部に釘が見えず、柱も1つ1つ線が描いてありますのでよく見てみてください。このように口に出して伝えないと、普通の人は小さな細工に気付かないです。
 
 
 
自分が現場に入れなくなった時のことを考え、次世代を育てなくてはいけませんね。
 
実は今ありがたいことに、各地から「教えてください」とのお声かけをいただいています。
 
現役である限り現場で働きたいので、現役引退後その道に専念したいと思います。
 
今も町内会でレリーフを作ったり、銅板に絵をなぞったりする簡単なことを志村第四小学校でやっています。子供たちに楽しんでもらう、そしてよい思い出として心に刻まれる、それが将来どこかで子供たちが職人の道を選ぶことにつながると思います。遊び心を持つことが、長く続けることの秘訣ですよ。
 
 

2016年09月12日 06:36 |コメント|

スペースアーティスト

中村知嗣さん

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・中村さんのご経歴とスペースアーティストになったきっかけを教えてください。

 

兵庫県尼崎市の出身です。

大学卒業後、アパレル会社に入社しショップマネージャー、VMD、バイイング等の経験を経てその後退職、 プラントアーティスト川本諭さん(三軒茶屋他NYなど10店舗展開のGreen Fingersというお店を経営する )の下で働きました。

川本さんとはインスタグラムを通して求人募集があった際、すぐに電話をし会いにいきました。植物に興味を持つきっかけを作ってくれたのは彼のおかげです。始めは植物というよりは、川本さんの感性やどういった生き方をしているのかということに興味がありました。仕事をしていくうちに植物を使ってこんなに素敵な空間を作れることに魅了され、自分で作りたい思いが強くなりました。

その後、植物の学校で学び、無人島で植物の生態の観察等を行い独立の道を選びました。

独立してからは、植物や花を使って装飾やインスタレーション、庭など様々な空間演出を手掛けており、「空間からメッセージ」をテーマに作っています。

 

・造園とインスタレーションでの植物の見せ方の違いは何でしょうか?

 

見せ方の違いはないと思います。何かを伝える思いは変わらないですね。

ただ造園の場合だと経年変化を楽しめる所がありますが、インスタレーションでは、一瞬の驚き、印象を大事にしています。見れる時間が少ないので、どれだけ印象に残るか、どれだけ一瞬で感じて貰えるか考えながら作っています。

 

作り始めるときは、御依頼様へのヒアリングから始めます。トータルアウトプットは120%を目指しており、その配分はクライアントさんが100%、自分は20%が目標です。クライアントさんの意見に自分のエッセンスを吹き込むことで驚きを提供できると思っています。

 

・どんなことに気を配ってクライアントさんからヒアリングしていますか?

 

何か作るにあたって、背景が必要だと考えています。どうしてこれを作りたいと思うのか、それを作ることによってどのような事が起こるのか、誰にどのように感じてほしいか、といったところです。自分の作品を通じて人に喜んでもらえる、ということに楽しさを感じますね。

 

・中村さんが植物と向き合ってお仕事をされているとき、どんな気分でしょうか?

 

自分を表現出来るアイテムで、「使わせて頂いている」感覚です。植物や花にはいろんな特徴があり、その生きている物に自分が手を加え活かすということを感じています。

 

・中村さんの美の基準は何ですか?

 

ぐっとくるものでしょうか。または、自分と戦い抜くことが出来た先に、それが美につながると信じたいです。

人それぞれ美の感覚は違うと思いますが、僕の場合は、心に刺さるようなときめき?みたいなものを感じた時かなあ。

あとは、作品を通してアーティストのマイナスな感情(苦しみや辛さ等)を感じた時に惹かれますね

 

・日本のアートをどのようにとらえていますか?

 

素晴らしいアーティストが多いと思います。ただ自分も含めPRする能力やそれを発信する力が海外に比べると弱いように感じます。

アートを続けるためには、人とつないでいくことが大切だと考えています。

 

週末に松本へ出向き、花の生産者に会いに行きました。花の世界は少し遅れていて、野菜と違って生産者の顔を全く見る機会がありません。生産者の想いを聞き、11人ハウスの中が全く違うことを目にし、その生産者の個性が花に出るということが分かりました。人の想いを花で届けていけたら、という気持ちになりました。

 

・その想いを知ってこれからご自身の作品にどう活かしていきたいですか?

 

見る側が「なぜこの花を使い、この色を使うのか」と考えた時、ただきれいだから、ではなく「生産者はこういった想いがあるんだよ」という説明を付け加えることができれば、と思っています。その方が面白味ある作品かなと感じています。

 

・中村さんはどのように普段の生活の中で植物や花を取り入れていますか?

 

植物は部屋に置いていますが、花はなるべくプレゼントとして贈るようにしています。

 

そこには周囲の人に喜んで幸せになってもらいたい、という願いがあります。

 

・これからチャレンジしたいことはどんなことでしょうか?

 

笑顔をもっと作っていきたいです。僕の作品を見てふっと笑うとか、話題の1つになればいいな、と思います。

自分を1単語で表現すると、素直な人でしょうね。何に対しても素直な気持ちで接してたいですね。

 

http://www.tomotsugunakamura.com/


2016年09月05日 13:06 |コメント|

食のデザイン工房 ニジノハシ

出張料理人・食卓デザイナー

石橋直樹さん

 

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・料理を職業として選択されたきっかけは何ですか?

 

もともと、幼少の頃、母が夕飯のおかずを一品決めて、

使い回すのが苦手な人だったので、野菜など食材が残って腐らせてしまうのが、もったいないと感じていました。

 

それを使って美味しいものってどうやったらできるのだろう?と、いろいろ自分で作ったりしていましたね。

 

社会人になり、体調を崩しあまり動けない時期でも

唯一継続できていたのは料理でした。

 

その時に、こういう状態になり、それでも出来ていることというのは、

自分の底の底のほうにある大事な何かが料理なのではないか、ということに思い至りました。

 

また、その後、当時、大切な人に真鯛の出汁のペペロンチーノを作ってあげたら、とても喜んでもらえ、心底うれしかったんです。

 

人が選択を大きく変えるきっかけというのは、ある程度、こういった内的体験の蓄積が必要なのではないかと思うのです。

 

大学を卒業後、全く違う業種の組織に勤めている時期もありましたが、大きな歯車の一部でしかない、といったような感じ方をしてしまい、自分の存在感を薄く感じ、何のために生きているのかわからない感覚がありましたが、料理の仕事はより肉感的に生きている実感を与えてくれるものでした。

 

色々な形態での飲食店を10店舗ほど経験し、そのうち同じ料理を何度も創る必要のある、店舗という形式よりも自分には、誰かの、何らかの意図を汲み取ってそれを形にしたり、より自分の意志で創作したりできるスタイルに興味があると気付き、出張料理人として、歩みはじめました。

 

その後、ご家庭での調理も様々、経験させていただく中、日本の家庭料理の状況が大変なことになっている、ということにも気付きました。

もはや日本にはほとんど「家庭料理」が存在しないのではと。

添加物だらけの調味料を使う、出来合いのもので済ませる。

手料理をする時間も、教育もあまり提供されていない。

モノや食べるものがなかった時代の方にとっては失礼な言い方・また、贅沢な話かも知れませんが、家庭料理➡「大手メーカー料理」の構図になってはいないだろうかと。

 

特に科学技術がこれだけ進歩した2016年にもなって、家庭科で「自炊できるようになるまでの料理スキル」が身に付かないというのは日本の教育上、とてもまずい事態なのではないか、と危惧しています。

 

私自身、食を提供する仕事をしていたにも関わらず、一時期は自分自身の食事をおろそかにして、(スーパーのお惣菜やコンビニ食で済ませていた)また体調を崩し1年間動けなくなる、ということもあったので、今日本に提供されている「食」のインフラの危機は身を持って実感しています。

 

そういった経緯から、現在は出張料理人の仕事から、段々と「食卓文化のデザイナー」としての仕事にシフトしていっています。

おうちの家庭料理で困っていることのカウンセリングや、何を食べたらいいのか、お伝えしたり、大好きな人の胃袋を掴むような一皿のコーチ。

理想の「幸福な食卓」が自分の手で作れるようにサポートするお仕事です。

 

 

食卓デザイナーとして、料理を教えるとは何が他の料理教室と異なるのでしょうか?

料理教室にもいくつか参加したり、色々な方にご様子を伺ったりしたのですが、レシピを学びながら、場を楽しむ、というエンターテイメント気質が強いところが多かったです。

それはそれでいいと思うのですが、これが一般の「料理教室」と多くの方が思っていることに違和感を感じました。

 

実生活では今日何にしようかな?というところから買出し・材料の下ごしらえ・食卓に上がるまでの色々な工程があると思うのですが、現存する料理教室では、料理が完成するまでの1部分だけしか教えていないことが多いのです。

これでは、暮らしの中で手料理が上手になる、ということに多くのハードルがあると思いました。

料理を教える時、もっと全体性を見て暮らしの中に落とせるようにしたい、と思っています。

ここでいう全体性というのは、料理に限られたことだけではなく、その人の暮らし方や、現在の社会状況なども含みます。

 

僕の料理教室やコーチではその点を踏まえて、発想の仕方、材料を選ぶ視点、買い出し〜盛り付けまでの全ての工程を経験していただきます。

お店選びから、シーンに合わせて盛り付けの仕方もお伝えしています。

レシピを教えるのではなく、料理をするというのはどういうことか?を大事にしています。

また、料理に抵抗を覚える原因のひとつとして、多くの人はレシピに対する誤解を持っています。

 

レシピというのは、この通りに作ったらこれができます、というマニュアルみたいなものではなく、同じ物を作る場合でも他の農園の同じ野菜を使うといった違いや、「ひたひた」でもとらえ方が人によって違ったり、そういった違いでレシピ通りに作ったところで、同じ物にはなりようがないのです。

 

つまりレシピを完全に再現しよう、それが正解だ。

という考え方はとてもナンセンスなことなのです。

レシピは料理する上でのアイデアや大体の分量の参考程度、といった付き合い方がおすすめで、そもそもレシピはいらない、あるもので美味しいものをぱぱっと作れるようになる、というのがご家庭においての「料理上手」だと思うんです。

ですから、僕はレシピはお伝えしません。

美味しく楽しくするための技術そのものや、精神性、見る目、楽しみ方を伝えていくのが趣旨なんです。

 

料理はレシピ通りやらないと失敗する、といった不安からするのではなく、理科の実験のようなワクワクがあり、これを配合したらこんな味になるんだ!などという枠のない、楽しみ方ができるものです

また、僕の料理教室では、事前にアンケートお送りして現在のお悩みと状況、理想の状態はどうなりたいのか、いうことをお伺いします。

それに合わせる形で各講座をカスタマイズし、レッスン内容を組み立てます。レッスンでは次の回までにその講座に紐づく宿題を出し、次回までに暮らしに落としこめるように配慮しています。

 

材料は自然栽培の野菜にこだわって選んでいますので、その素材が買えるお店の情報などの共有もしています。

 

レッスンは月1回×1年のシリーズで、1回のレッスンは5時間、

途中から入った方には過去の講座内容を学ぶための補講も提供しています。

つまり月一レッスンで、料理にとことん浸ってもらう一日を作ってもらっています。

場所は自宅兼アトリエでやっていて、7人くらいの居心地いい空間を作っています。そろそろ定員なので、次期の生徒さんを募集しようと考えています。

 

 

石橋さんが食を通して発信したいことは何でしょうか?

 

もっと自由だよ、ということを料理だけではなく生きること全般において伝えたいです。自然体でいい「私は私でいい」ということを、料理を通して感じていただけたら、と思います。何かを自由に選んで組み合わせていい、楽しんでいい。その方が生きやすいということですね。自分を無理に型にはめて、体を壊した時期があったからこそ気付けましたが、皆さんにはそうなる前に早く気付いてほしいです。

 

日本の家庭料理が危機的状況、と冒頭でおっしゃっていましたが、石橋さんが関わった家庭ではどんな傾向が見られましたか?

 

スーパーやコンビニエンスストアに流通している食材に入っている添加物の情報を把握していない、という方が多いです。実は地方の方が大変なことになっているような気がしています。コンビニや大手スーパーに食のインフラを頼ってしまう部分があります。大規模農業が生き残るような仕組みのため、敷地の取れない里山の農業が減少しているようです。都心ではまだ自然栽培のお店があったり、ネット通販を利用する意識があります。

 

そして、働き方の問題(労働の負荷)からか、手料理をしない人も増えています。味噌汁のレシピを無限大にして、楽しむための講座をした時、主婦の方でも味噌汁をきちんと作るように意識を向けられない方が多かったようです。

また味付けにコンプレックスを持っている人が多いのですが、その根本原因にあるのが、学校教育での家庭科で生きるための料理に必要なことを教えておらず、各家庭の食文化に依存していることだと思っています。もう2016年なのに日本ではいまだに台所は女性が入る場所、男性は外で稼いでくる立場という考え方も残っています。こういった文化がまだ日本にあることも、手料理から遠ざかってしまっているひとつの原因なんです。そういった諸々の事情により、今や日本の家庭料理は、大手メーカーの料理になっていっています。

 

ということは学校の家庭科教育を変えていく必要性があるように考えられますが、そこにはどう取り組んでいけたら、と思いますか?

 

沢山の観点からアプローチする必要があると思いますが、僕の役目としては大きく二つあります。美味しさの法則を広めることと、日本の家庭料理教育のグランドデザインを創ることです。

 

僕が料理教室やワークショップお伝えしている「美味しさの法則」は、どうやったら美味しい物が出来るか、さしすせそ以前の根本の味の関係性に触れています。レシピに頼らず味付けに自信を持つことができます。まずはそれを日本の家庭科教育に取り入れてもらえたらいいな、と思います。そうしたら、料理に対する負荷が軽減され、手料理を楽しめるきっかけに繋がると思います。

 

そういった味覚の授業を含め、日本で「健康的で楽しく美味しい家庭料理」を自分の手で作るための講座のグランドデザインを創り、教育機関に取り入れてもらう構想です。

 

多くの人が手料理を楽しめるようになる。

 

結果、食材にもっと意識を向け、食のインフラをコントロールしている国の問題に意識を向け、そしてすべての命がつながっている、という深い部分にまでたどり着くはずです。根本にリーチできると、私たちは命をいただいているのだ、という考えになり11人の意識に変化が見られるようになると思います。これは「いただきます」の意味を理解するということではないでしょうか。

 

・料理教室を利用された人からどんな声が上がっていますか?

急に旦那さんから「料理の味付けが安定した」と言われた、

料理に対するストレスが減りました、

もっと自由にやっていいのですね、

などというお声を戴けています。

 

皆さん、レシピから解放され、料理以外のところでも

多くのことを感じはじめてくださっているようです。

 

日本食が世界から注目されていますが、私たち日本人が普通に取り入れてきた日本食をどうとらえていますか?

 

そもそも食文化は各国の立地や国民性・地域・職業ごとの暮らし方に影響して、調理の仕方が積み上げられていくものだと思うのです。立地に関して言えば、例えば海に面していない国だといかに魚の加工技術を高めるか、という方向に向きます。素材が悪くなりやすいロジスティクスだと、保存重視の調理法や、臭み消し、いい香りを付けるという発想になり、ハーブ・スパイス料理の文化が育ちます。

和食は環境からか、シンプルで素材の味がダイレクトにわかるものが多いです。また自然と共生するという精神にて、四季が産み出す多様な生態系による食材や献立があり、それを繊細に感じとってきた国民性においても、和食のベースが成り立っていると思います。日本人の精神性と立地が和食を作っていると思うのです。和食に限らず、食文化とは蜘蛛の巣のように色々な要素が絡まって紡がれる。そういうことなんだな、と思います。

 

・今後はどんなことに新たに取り組んでいきたいですか?

出張料理人と食卓デザイナーという肩書きで活動していますが、教育の方にさらに比重を置いていきたいです。

出張料理人としても技術を磨いていく一方、食の大切さを伝えていくところを突き詰めていきます5年後までには美味しさの法則を世界中に届けていきたいです。

 

今度、友人と美味しさの法則が子供にも分かりやすく伝わるような絵本を作ろうというお話をしています。

 

最後に読者へのメッセージをお願いします。

今日も、ちゃんと食べてますか?

 

http://happy-dining-composer.net


2016年08月30日 19:29 |コメント|

経済産業大臣指定 伝統的工芸品

伝統工芸師 江戸指物師

木村 正さん

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江戸指物の特徴と歴史を教えてください。

指物は千数百年の歴史を持つ、日本の伝統工芸です。古くは仏像を収める厨子、宮廷や貴族、僧侶の調度品として愛用されていました。

後に「江戸好み」と言われる指物が誕生し、一大木工技術が現代に凝集したものと言われています。

特に「江戸指物」と呼ばれるジャンルは、この400年間で最も美にうるさく最も仕上げにうるさい都会人の評価に耐え、国産の天然木を使用し、伝統技法を駆使して洗練された技術の粋です。

 

江戸指物の特徴は外側からは伺い知ることができない、継手による組立、つまり内継手の細工にあります。本来、指物の語源は2節あり、1つは「指す」がものさしを意味するところから正確に測って作られる木工品ということ。もう1つは釘を使わず継手のみで組立てる細工を職人用語で「指す」と呼ぶところに由来する、と言われています。いずれにしても、継手は指物の命と言えるものです。

 

作ってから日が浅いと桑の木が明るい色ですが、20年も経過するとこのようにべっ甲色に変化してきます。

明治時代から御蔵島の桑の木を使っているので、徐々に木の数が少なくなり、今ではほとんど市場に出回らなくなりました。同業者でもあまり持っている人はいませんね。いろんな木があるけれども、御蔵島の桑に代わる銘木はありません。銘木と言われるいい木がなくなり、それに付随する製材所もなくなってきています。

接着剤(和膠)に関しても作っている業者が辞めてしまい、メッキ屋さんなど関連した物も消えていっています。どこも後継者がいなくなっている状態です。

 

 

このお店の沿革と木村さんが江戸指物に関わるようになった背景を教えてください。

両親を原爆で6歳の時になくし、たよるところがなかったので「技術を身に付けた方がいい」という発想から、木工に関わるようになりました。たまたま兄が東京にいることが分かり、紹介で親方である島崎国治さんのところに弟子入りし、合計13年間修行しました。今、78歳なのでかれこれ60年以上は江戸指物に携わっています。

自分には何もなかったので、これで食べていくしかなかったのです。10年経てば1人前と言われていたのですが、その時に自分より若い職人が2人修行していて、彼らの面倒を見るためにさらに3年親方の元で働きました。お礼奉公を終えて独立できることになり、のれん分けさせてもらいました。親方のお得意先へ挨拶に連れて行ってもらい、親方と同じ値段で取引させてもらえるように、との口添えまでいただきました。親子で継ぐパターンは多いと思いますが、島崎さんの流派は皆弟子入りしてのれん分けさせてもらっています。こういったことをしているのは、島崎さんの流派だけです。

私は今、弟子をつけていませんが、5年前までは常時ここに1,2人はいる状態でした。でも皆1~2年で辞めていましたね。銘木屋さんがいなくなったり、いろんな人が来て相談していくのを見て、先行き不安になってしまうのが原因ではないでしょうか。他の工房でも同じ状況でしたので、どこも後継者がいない状態です。

 

 

昔は30~40軒いた職人も今は数を数えるくらいしか残っていません。桑の木で作る技術を持っているのは、そのうちでも2つの流派しかいません。流派によって作り方もデザインも違います。

私は30年以上、伊勢丹や三越などのデパートで展示会をしていたので、自分でデザインしたものを持っていき、売るということをしていました。例えばこの桑の箪笥ですと、純銀の金具を発注し取り付けています。他でこんなに高額なことをしている人はいないでしょうね。桑だからこそ銀を使うという価値があるのだと思います。

 

御蔵島に道路が出来たとき、深川の市場でそこに出ていたほとんどの大きい桑の木を買いました。それ以降、市場で出会った人とやり取りし、木を売ってもらっています。切り出す人は見ればわかるので、木の良し悪しに関わる情報も教えてくれています。

 

 

日々、木と向き合うお仕事だととらえていますが、その中で木村さんが製品にするまでに大切にしていることはなんですか?

パーツの差し込む所を作る時に、固すぎるとさした時に割れてしまいます。逆に緩すぎると効かないです。この微妙な調整は機械ではできません作るものによって木の厚みが違うので、それを目で見極め、1つ1つ丁寧に作っています。だから全部手仕事になるのです。

木も天然なので全て癖がちがいます。木も性格のいいのと、悪いのがいて、性格の悪いのはいくら人間が手を施しても直りません。性格の悪い木とは、例えば同じ1本の木でも、半分を中心に北側のは悪い木(陽疾)と呼ばれ、色が違うので職人は使いたがりません。このような部分は建物の北側で使うと、その性格を活かして気候に応じた適切な使い方ができます。一方、南側のは素直に育っていて、色がまた違い扱いやすいです。

 

本土の桑は色が濃いです。産地によって全く色が異なり、土の養分が色に影響すると言われています。三宅島と御蔵島は実は近距離ですが、三宅島は火山島なので異なる桑です。本土の桑は安いですが、買わないですね。同じ手間暇かけるかいがないので、職人にとって仕事する気力がなくなるのです。

 

いい木をみると、いい気持になりますね。これはどうやって使おうかな、ということをいつも考えています。木目のいい木というのは少なく、工房にあるもので「あの木はいい木、悪い木」というのが頭に入っています。

 

 

現代ではどんなところで需要がありますか?

昔は問屋さんから注文が来ていて、それがデパートで売られるという流通でした。

住宅事情の変化により、箪笥・座卓などを置くマンションがなくなり、問屋から注文が来なくなりました。当時は自らデパートで実演しながら売りに行くこともしていました。

現在では個人のお客様から直接注文を受け、作っています。

大きいものより、小さいものの注文が多いですがそれも多種多様です。

ボールペン、手鏡なども作りましたが、だいぶ売れてしまいましたね。皆さん、誰かに差し上げているようです。こういった小さい物も、良い色や木目は根っこの一部分からしかとることができません。必ずしもこの色、木目が出るとは限りませんので、小さい物のために大きなところから切り取るのは、とても貴重なことです。

 

ここに体験で来られた人のために、カンナなど工具も自分で作っています。これを使って箸などを作っています。修学旅行の学生さんや外人さん、地方からわざわざ木工を学びたいという意志をもっている人、いろんな方が体験に来て下さっています。

 

今後は、どのように展開していきたいですか?

今は幸いなことに1人で注文をこなしていくことに手いっぱいなので、これ以上展開ということは考えていませんね。買ってくださった方には大切に長く使っていただければ、と思っています。


2016年08月23日 21:32 |コメント|

北千住ゲストハウス かがりび

オーナー 阿部大資さん&板垣さん

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北千住西口から少し歩いたある商店街の一画に、明るいかがり火が灯されました。外観は木の新しい色が美しく、一歩中に足を踏み入れると、日本の原風景を彷彿する雰囲気。土間や暗めの色の木目がどこか懐かしく、でも安心感を与えてくれ、いつまでもそこでお茶をすすりたくなる空間。ゲストハウスの名前「かがりび」は「篝火のように明かりを燈し、多くの人が集まれる場所にしたい」との思いから命名されました。

オーナーのお2人は内装を全て自分たちの手で作り上げました。訪れるたびに、顔をほころばせて「今日はここにこんな工夫をしたんですよ~」と嬉しそうに建具のエピソードをお話ししてくれました。地域の方から差し入れされたインテリアもおかれ、人のぬくもりがある宿泊場所ができました。

 

・ついにオープンを迎えましたね。おめでとうございます。ここまでの心境はいかがですか?

ワクワクとドキドキが入り混じっています。ワクワクに対しては、どんな風になるのか楽しみということです。ドキドキの方は、どんな風にこの場所が受け入れられるのか、ということに対してですね。私たちも初めてこういうことをやらせてもらうので、未知のことに対する不安があります。

booking.com という予約サイトに載せています。あとはHP, Facebook からでも予約受付可能です。

 

・どうしてゲストハウスを始めよう、とおもったのでしょうか?

日本の古民家の良さを知ってもらうと共に、伝統食である「麹」をより多くの方に知ってもらう機会を作りたいという思いがあり、その2つを融合して提供できるのが宿泊施設ということに気付きました。特に外国人を対象としているわけではなく、幅広い旅行者向けの宿泊所という位置づけです。

ここの大家さんは翻訳家の方で、海外に在住していることもあり、僕らがやろうとしていることを寛容に受け入れてくださいました。

新規性やアクセスという面からは、行政から問題なく許可が下りました。初めは川越でやろうとしていたのですが、北千住ではその点上手くいったのではないかと思います。

他の地域もいろいろ見たのですが、浅草ですともう新規性がなく宿泊所が飽和状態です。北千住は地方へのアクセスが良い場所なので、その入り口という感覚でしょうか。

また荒川に近いので、自転車をする人が部品を買って、ちょっとここに宿泊して、また地方に行くための経由点として利用してもらえば、と思っています。

 

 

・お2人でほとんどの内装工事をされているとお聞きしています。そこにはどんな想いがありますか?

僕らは職人のような技術がない全くの初心者なので、想いというよりは不安の中で作っていました。

建具も何もなかったので、こういったものを作りたいな、というアイディアをある程度絵・図にするところから始めています。これを見ていただければわかると思うのですが、こういった和の趣で全ての内装を作りたいな、というイメージがありました。この最初のイメージをどれだけ具現化できるか、ということにこだわり4カ月間歩んできました。

現在、改めてこの場所を見ると最初のイメージを超えるくらい申し分ない出来になったと、満足しています。

 

・建具の一部・インテリアなどほとんど地域の方・ご友人・ご家族から譲り受けたものなんですよね。短期間で、どのようにその人脈をつくっていかれたのでしょうか?

あさひ湯のおかみさん、裏の方、足立区役所の方、Facebookの投稿を見てきてくれた方など、本当にたくさんの方から援助をいただきました。縁もゆかりもない場所でしたので、自分たちがこういうことをやるんだよ、ということを発信してみたのが最初でした。それを読んで興味を持って遊びに来てくださり、そこから「紹介したい人がいる」ということを言われて、職人さんや地域に詳しい方とのつながりを作って下さり、そんな風に広がっていきました。

建具もよく見てもらえばわかると思いますが、いろんな箇所に工夫が凝らされています。

お客様や地域の方に、僕らがやることを理解してもらえばいいなと思います。

また銭湯の方や商店街の方とつながりをもって、地域の活性化に取り組んでいければいいな、と思います。

 

・来てもらうゲストの方、特に外国の方にどんな風にこの場所を使ってもらえたら、と思いますか?

日本の下町を知ってもらえれば、と思います。安くて、人が温かくて、銭湯を体験でき、人との交流がある場所ということを知ってもらいたいですね。そのためにいろんな企画を考えています。例えば茶道をしたり、麹作りを一緒にやったり、自分たちの食べるご飯など共有できる機会を作ったりといろいろ日本のカルチャーを紹介できれば、と思います。

 

あとは地方への入り口として使ってもらえたら、と思います。埼玉、群馬、茨城など足を延ばして温泉やハイキングなど行きたいときに、ここを経由して行ってもらえたら便利ですよ。さらには上野・日暮里にも近いですので成田へのアクセスがいいです。そして羽田空港までシャトルバスが北千住駅から出ています。

 

・この場所を通して、どのようなつながり、発展をしていきたいですか?

麹を使ってプリンやサンドイッチなども販売していきます。ここら辺ではまだ見ないことをやっていくつもりです。またこの場所を通して地域をPRできる存在になれればなあ、と思っています。

この場所は僕たちがゼロから作ったという気持ちが入っていますので、その思いが伝わるのではないかな、と思っています。おもてなしの心ということを出すために、お菓子箱も各部屋に用意しています。

 

・最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

全て僕たちの手で作った場所で、その4カ月の変化を動画にしています。ぜひご覧いただき、実物を見てみたいと思ったらぜひ遊びにいらしてください。手ぶらでも大丈夫です。古き良き日本を随所に感じていただけると思います。桂離宮のデザインをまねて作っている建具も潜んでいます。

昔は当たり前だった空間だったかもしれませんが、今の若い方はご存知ない部分も多いと思いますので、ぜひここにきて見て感じていっていただければ、と思います。

http://kagaribi-inn.tokyo/


2016年08月16日 06:32 |コメント|

株式会社ハコリ 

足立ガレージ kikkake

代表取締役 加賀山 薫さん

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街のどこにでもあるような古い倉庫が、モノづくりを通して人が集まる場所になっている、と聞いてやってきた。子供も大人も時が経つのを忘れるくらい夢中になって手を動かし、ひたすら作って、笑い声が聞こえ、思わず長居したくなる場所。

ハコリの手にかかれば、誰も来ないだろうといわれていた場所が生まれ変わったようになる。kikkakeガレージではアートのワークショップやイベントを開催している。

ハコリとkikkakeの代表 加賀山さんにお話しを聞いてみました。

 

・加賀山さんの経歴と、ハコリさん及びガレージオープンに至るまでを教えてください。

前職では、不動産の営業を6年間担当しました。自転車で毎日、都内の物件や街を見て脳にインプットしていましたね。その会社で働くことは好きで、不動産っぽくない会社でした。急成長中のインターネット企業等とても素敵な会社様との取引・繋がりがありました。結婚して子供ができ半年くらい経過した頃に、自分の中で転機が訪れたと思い、退職と新しく自分で会社を始めることを決めました。

 

当時は何をやりたいかということを決めていなかったのですが、なんとなく「街が好き」という思いはありました。ちょうど話題になっていた空き家問題と、娘の保育園・祖父の老人ホーム探しの課題が重なりました。そこから「建物が時代の流れに応じて変わっていったらいいのに」と漠然と感じ始めたのです。人口の減少と共に、建物が余りはじめ、シャッター通りが増えてきています。その空き家を有効に使う方法は必ずある、と考えています。例えば、空き家を保育園や老人ホームに変えたり。地方だと、さらに土地が余っていますよね。

 

その後空き家診断士の免許を取得し、何件か知り合いの空き家を活用できないか、という提案をしてみましたが、タイミングが合わないなど案外大変なことがわかってきました。もう少し段階を踏むために、ハコリには「箱を変える」という意味がありますので、1カ月くらいマンションの内装工事をしている現場に入れさせてもらい、内装工事を知ることから始めました。

同時に倉庫を借りて、次々に出てくる新しいアイディアを実現してみようかな、と思いました。父親がCMの大道具作りの仕事をしているので、その廃材をもらい有効活用することを考えました。実際はCMで使わなくなった家具を転売するだけなので、やってみたところ、あんまり症にあわないな、ということに気付きました。

次に廃材でテーブルなど作ってみたところ、予想以上に大変だったんですね。企業から素人ということを前提でご依頼いただき、テーブルをいろんな人を巻き込んで作ってみたところ、自分は10万円で売れると思うくらい苦労したのに、実際は5万円でしか売れませんでした。でも素人の作品が、5万円にもなったのです。モノづくりの大変さ、苦労、でもそれが売れるということの面白さがこの作業の1連で理解できたのです。

そのうち、大学時代の友人がここに入ってくれて金物を使って倉庫の中2階を作ってくれ、kikkakeガレージがさらに居心地よくなりました。

 

・現在はどんなプロジェクトに携わっていますか?

ある日、実家の目の前にある空き家「扇装」があるのに気づきました。早速、「リフォームしたいです」と電話したところ、初めは切られてしまいましたが、1か月後にオーナーから電話がかかってきて「話を聞きたい」と言われました。

kikkakeというガレージも最初はただの倉庫で、内装変えていったらこうなりました、という話をオーナーに説明していきました。ただ内装を変えるのではなく、街を盛り上げる一環として、閉鎖的な工場を人が集まる場所になったら面白いと思うということを率直に伝えました。

 

扇装は駅から徒歩3分くらいにある、立地が良い場所にある古い物件です。ただ、日当たりが悪く、和式の土間があり、昔ながらの間取りなどから、なんとなくこの物件は人が入らない、という根拠がすぐわかりました。昔はこのあたりに銭湯があったのですが廃業になり、そういった時代の流れに不動産屋さんは感度が低いのでわからないのですね。利回りまで計算し、外観のかっこよさだけではなく、オーナーの立場で収益を考えて内装工事を提案しています。

 

扇装1Fではカフェをオープンし、民泊も将来できるような設計を予定しています。

土間空間がある家は、やっぱり人が住みにくいので、3メートルある天井を活かし、カフェにすることを考え付きました。また外観の色を変え、壁をとっぱらい空間を広く使えるように変えました。

 

設計士の立場ではなく僕のような素人が普通に考えて住みやすい、ここにこれがあったら便利、ということを実現していくという、一般的な目線を持つことを大切にしています

こういう街を変えて、人が集まる場所にしていくということが、弊社のやりたいことなのです。

 

・こういった何もないところから始められた場合、実際のところ、仕事はどのように依頼されるケースが多いのでしょうか?

仕事は直接クライアントから受けています。企業や個人までオーダーがありますね。今までの人脈や知り合いの紹介から仕事をいただいています。

 

今はkikkakeが運営するカフェが上手くいけばいいなと思います。カフェの知識なんか正直ないですけどね。まずはクラウドファンディングで経営資金を準備できれば、と考えています。

人のつながりはご縁だと思っていますので、自分がやりたい仕事をしていたら自然に共感していただける方が集まってくると思います。

来月は西新井のエンブレムホテルさんで、BBQを行います。そこに自分たちの好きな人たちを招待したら、そこからまた広がっていくのかな、と思います。エンブレムさんともイベントなど一緒にやっていけたら、と思います。

 

・単純な内装工事を引き受ける業者ではなく、「街を変える」ということがミッションにある会社なのですね。その先にある最終的なゴールは何ですか?

将来のことはわからないので、世の中をよくしたいというようなことはしっくりきません。とりあえずこれいけるのかな、ということをやっていき、上手くいったら続ける、ということを繰り返すうちに自分の人生は幕を閉じて、引き継がれていくのがいいのかなと思います。

 

ただ、明確にある想いとしては強い施工会社にしたい、ということです。かっこいい、強い職人集団を作りたいです。漠然としていますが、モノづくりが強い時代だと思いますので、宮大工など伝統工芸レベルの技術を持ち合わせてなくてもいいのです。大工さんや水道屋さんのように日常の工事を担っている方々が大事なんです。テクノロジーが進化していく世の中で、昔は誰でもできていたことを継続していく取り組みを続けていけば、自然に自分達に技術が残り強みとなっていくのかなと思っています。

 

・加賀山さんは職人としての知識なしで今、現場を見られているわけですよね。その状況で職人を管理することは難しいですか?

管理する、ということはしていません。というかできてません。普通は管理するのかもしれませんが、彼らの方が年も知識も上ですし、逆に知識のない自分に教えていただいている感じです。むしろ面倒みていただき、温かく見守ってくれている感じですね。難しい作業については僕できませんが、職人さんの手元を手伝うようなことを現場でしています。

 

・ハコリさんが作る物にはどんな想いが込められていますか?

目標は高度な技術でお客様に提供できることです。それまでのステップとして、いろんなものを作っていきたいです。お客様の予算とコンセプトに合わせ、柔軟性をもって応えることができる企業でいたいです。そのためにはいろんな技術や考えを持っている人を巻き込んでいくことが必要と感じています。

 

どのレベルでちゃんと人に提供できるか、それが伝わるかということが大事だと思います。今は面白そうだから一緒にやってあげるというレベル、3年後は本当にこの人たちの持っている技術がいいからオーダーする、というレベルにしていきたいです

 

足立区に来ていただきこういう場所もあるんだ、ということを感じてもらえたらと思います。イベント、モノづくりなどいろいろ体験できるので、ぜひお立ち寄りください。

 

http://hakore.jp/

http://kikkake.tokyo/


2016年08月09日 07:34 |コメント|

すし富

寿司職人 埼玉夢さん

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埼玉さんがお寿司の世界に入ったきっかけを教えてください。

料理を人に対してしてあげること、が好きだったんです。前提として何かを人にしてあげるということが好きですね。25年前、最初は会席料理から入りました。バブル時期で、ランチが5万円のお店だったんですよ。半年くらいそこで働き、もっと魚をさばきたいと思ったので寿司の世界に入りました。
 

寿司屋は空間のコントロールが必要、と感じています。同じ料理でもどのようにお客様に出すか、ということで違ってきます。例えばマグロの握りをカウンター越しに渡す際に、ただ「国産のマグロです」と言って出すより、「非常にいいところ」と気持ちを込めて言うと、伝わり方が違うでしょ?時には言葉でアグレッシブに心を揺さぶることも必要です。

他のお店より自分の接客で喜んでもらえている、と分かっています。

 

寿司屋は長く、無理に話し続ける必要はないんです。それが自分の持ち味でもあり、他の寿司屋とは違うところかもしれません。

 

築地という激戦区の中、このお店を選択してきてくれるお客さんは、3050代の人たちで元気がほしい人たちが多いです。

埼玉さんなら聞いてもらえる、という安心感があるからでしょうね。

 

美味しい物を作れるという自信があるからトークができるんだ、と思っています。もちろんテクニックや技術がきちんと備わっているからこそ、しゃべることができるのです。

25歳くらいの時にトークができなくてやめようか、とおもったこともありました。

それは年相応の行動にすると、「まじめにやる」ということでしたので、逆に当時はお客様からいろいろ教えてもらっていました。

それから吉本などを見に行って、しゃべるということを学びました。そうしたら、トークをする人が楽しんでしゃべっているんだな、ということに気付いたんです。だから自分がカウンターに立っているときは、わざわざ休憩時間にしゃべるのを控えるくらい、エネルギーをため込んですべてお客様に喜んでもらえるトークに使います。

 

大衆店や高級店での経験を経て、今のお店では37歳から7年間働いています。

高級店では箸の配置など細かいことに気を配る、ということにとても厳しかったです。時には叩かれることもありました。でもそこで叩かれると、もう二度と同じ失敗はしなくなりましたね。

 

寿司の世界では、大体握らせてもらえるまで7年かかります。あまり真剣に考えず、若い頃は働いていました。ただ辞めない、という覚悟がありましたね。

 

苦労という点では、複数の先輩が違うことを言っているので、どう自分がそれを受け止めるかということでした。結論から言うと「全てに対応する能力をつける」ということが大切だと思っています。それはいずれカウンターに立ったとき、様々な個性を持つお客様に対応する、ということに結びつくからです。

この業界では、先輩のいうことを聞くから次の仕事をさせてもらえる、という場所です。自分の努力やガッツを認めてもらえるから、仕事をもらえるんです。次に先輩に頼まれそうな仕事を見込み、魚や大根など自費で買ってきて自宅で練習しておき、いざ指示されたら全くできません、ではなく形は見せられるようになる努力をしていました。それが修行ということで、我慢と経験を積むということです。今はそういうのがなくなってきましたね。

 

他人に言われたことで自分が辞めるのはナンセンスだと思っていたので、やめなかったのでしょうね。もちろん肉体的・身体的ないじめもあった、でも自分の方ができるし、礼儀は正しくしていましたので自分のために生きることだけを考えていました。

 

今はたくさんのお客様に愛され、閉店までカウンターを任され自由に楽しくやっているおかげで、ストレスは全くないですね。お客さんを喜ばせる会話を大切に握らせてもらっています。

 

すし富が持つ、他のお店にはない特徴は何ですか?

6店舗あり、来年は松坂屋に入る予定です。50年の歴史があります。

鮪屋という仲買人が経営しているお店だから、いい鮪が安く食べられます。

社長はマグロのセリ人で、お客様に満足してもらえる寿司の出し方を考える人なんです。

本店築地では特に新鮮で天然のものをリーズナブルに出したい、という意識があります。

 

お寿司にどんなこだわりを持って作っていますか?

最終的にどういう風に使いたいか、一番お客様に提供するときに美味しいと思ってもらえるように、ということにこだわって仕込みをしています。例えば、とり貝1つにしても、酢と塩のよい塩梅の中に一瞬火を通すにしても、1つ1つするか、まとめてするかということで仕上がりが変わります。自分は1つ1つ気持ちを込めて、手間がかかっても丁寧に仕事をしています。固さ、柔らかさ、感覚に満足がいかないと出したくないです。

ご飯の量は通常12gくらいだと思いますが、自分は8gくらいと少な目にして、つまみの1つとして食べられるようにしています。お客さんの満腹度合を見極めて、ご飯の量を決めています。若い職人にはこういった見極める瞬発力を養ってもらいたいですね。

 

これからどんな取り組みをしていきたいですか?

11つの積み重ねてきたことがこういった結果になってきたから、ビジョンを特に持っていないです。永遠の課題かもしれませんね。欲を言うと、ごひいきにしてくれているお客さんの信頼している人・大切な人にも来てもらえるくらいにしていければいいですね。

 

海外の人には、お寿司におすすめのネタや楽しみ方を教えてください。

最近は外国人のお客様が増えました。

これとこれは好き、と指定してあとは任せる、と言ってもらえると楽しんでもらえると思います。セットメニューでは含まれていないような、同じ値段でも満足してもらえる内容があるからです。自分がいるカウンターに座って満足しない、ということはないようにどんな国のお客様にも満足してもらえるサービスを提供していきたいですね。

 

最後に読者へ向けてメッセージをどうぞ。

 

その年代で大切な取り組むべきことがあると思います。それに意味を感じて1つ1つこなしていくと10年先に結果がでてくる、ということでしょうね。学ぶという姿勢を見せるから、お客さんも教えてくれるのだと思います。
 

http://sushitomi.net/

 

 

 


2016年08月02日 05:46 |コメント|

NPOPIECES 

理事 荒井佑介 さん

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・     PIECESは何をしている団体ですか?
不登校、貧困、中退、虐待など、様々な環境におかれる子どもが、どんな環境でも生き抜いていける社会にしていくサポートをしています。そこには市民が子どもを支えていく担い手になってほしい、という願いが実はあるんです。
様々な課題を抱えた子ども支援は行政や専門家が担うもの、というイメージがあると思います。しかし、私たちは子ども達に関わっていく中で「専門家でもない私たちにもできることがあるのでは?」と思うようになりました。
行政などの支援も大事なのですが、子ども達は課題解決のためのサービスや仕組みと同時に、人とのつながりを求めていると感じています
例えば、家族以外に、その子のことを気にかけて、関わってくれる近所のお兄ちゃんのような人や少しおせっかいをやく地域のおばさん達がいることで、たとえ子ども達がどのような家庭に育っても本来家族が果たすとされている役割を補うこともできると思のです。
 
親から信頼されず育った子どもたちに対して、親以外の人との関わりでそれを補っていくのも可能なんですね。子ども達には、お金や様々なサービスの提供だけではなく、こうした人との関わりが大事だと思っています。
 
・大変偉大なことをされているがゆえに、周囲への理解は得られたとしても、実際に次の行動となると難しいイメージがありますがどうでしょうか?
 
市民が子どもを支える担い手になると言っても、どう関わったら良いのかと言われることは多いです。確かに子どもの関わり方には様々なやり方があります。
そこで、私たちはコミュニティユースワーカーと名付けた「子どもの伴走者」を育成しています。このコミュニティーユースワーカーが日々子どもたちと出会い、子ども達に必要な関わりをデザインしていきます。「この子にはこんな大人が関わると良いのでは?」とコミュニティーユースワーカーがハブとなり、子ども達に必要な大人をつなげていきます。
行政や専門職だけでなく市民が子どもの支え手になるために、まずその関われる土壌をコミュニティーユースワーカーが作ります。
 
これからは、市民が子どもの関わり方を学べる学校のようなものを作っていきたいと思っています。
子ども達と関わる上で必要な価値観や考え方があります。関わり方は多様ですが、必要になる価値観は同じです。その価値観や心構え、具体的な関わり方を学べる研修などを今作って、これからより多くの市民が子どもに関われる環境を作っています。
 
・実際には支援を求める声は誰からあがるのでしょうか?
 
子どもの貧困や虐待などは見た目では見えにくくなっています。地域で子どもを支援しているどこの団体も支援が必要な子どもを見つけるのに苦労している印象があります。
私たちは、地域の人や子どもの支援に関わる人たちと顔の見えるつながりを作っていきます。そして、何かのタイミングで子どもを紹介されることが多いです。
また、出会った1人の子どもを中心に、その周りにいる家族や友人にアプローチしていく方法を取っています。子どもたちのコミュニティに入り込み、彼らと一緒にご飯を食べ、遊び、時に彼らの家に行くこともあります。支援を待っているだけでなく、私たちの方から出向いていき、彼らを見つける努力を続けています。


そして、出会った子のニーズに合わせて必要な地域の大人や様々なサービスをつなげていきます。一人の子を丁寧に見ていくことで、私たちは周りの大人から信頼され、どこかで困った子を見つけたら私たちにつなげてくれるようになります。
この繰り返しで、徐々に活動が広かっています。
 
・子どもたちの心のカギはどのように開けるのでしょうか?
まず、第一に私はあなたの味方であることを伝えます。これは言葉で伝えることもありますが、それよりも子どもとの関わりの中における、全ての工程で伝えていきます。
 
例えば、ただ雑談している時も、「あなたに関心があるよと」伝わるように会話をします。基本的に聞くこと、質問することが多いですね。
何よりも楽しそうにしている雰囲気を出します。「あなたと話せて私は楽しい」と思ってもらえるように振る舞います。
何気なく関わっているように見えて、そこには様々な意図を持って関わっています。
 
・荒井さんがこの業界に入ったきっかけは?
大学1年生の時に、新宿にいたホームレスに話しかけたのがきっかけでした。ホームレスになった経緯を聞き、それが面白く、そこから毎週ホームレスとの交流がはじまりました。やがてホームレス仲間が集まり、「農業の仕事につきたい」と言い始めたので、彼らの紹介文を作成し、自ら農業フェスに行き、「ホームレスの人たちをやとってもらえないか」、と売り込んでいったんです。そうしたら、「一度見学にきていいよ」という団体や、「炊き出しだったらいいよ」という声があがりました。
 
それから長くホームレスの支援をしてきました。当時は終電までおじさんたちの寝場所でお酒を一緒に飲んでいて、話を聞くと子ども時代からの貧困・虐待など様々な課題を抱えていた人がほとんどでした。家庭のサポートもなく、頼れる人もいない中、就労でつまずき、ホームレスになってしまったという人が多かったです。その時、ちょうど生活保護世帯の中学3年生の子どもを対象にした学習支援が始まり、知り合いの縁で関わることになりました。そこでホームレスの背景と子どもの貧困がリンクしました。それ以来、子どもの支援に関わり続けています。
 
・荒井さんが関わり続けるモチベーションとなっているものは何ですか?
自身が障害をもちながらも周囲を支え続けるおばあちゃんの影響が大きいです。
祖母は通っている障害者センターで利用者の立場にいるのですが、多くの人を気にかけ、必要なことを手伝い、おせっかいをし続けています。次第に、多くの人が祖母の元に寄ってくるようになっていきました。こうした話を常に聞いていたので、私の中で困っている人に手を差し伸べることや、人のために何か行動することは自然なことでした。
また、私も高校、大学時代には色々なことがあり、悩み、学校に行きたくなかった時がありました。ホームレスの人たちと出会う中で、自分よりも悩んでいる人がいると感じ、その人たちにふれあう中で自分の悩みを解消していけたと思っています。
それは今も変わらず、子ども達がある意味、私を救ってくれているのだと思います。
 
・日本の貧困をどうとらえていますか?
貧困というと途上国をイメージする人が多いと思いますが、日本にも貧困問題があります。途上国のように餓死してしまう子は多くはないのですが、日本には相対的な貧困という側面があります。他の人と比べて自分の家はお金がない、あの子は塾に行っているのに自分は行けない、必要なものも買ってもらえず学校でいじめられる、ということから劣等感が生まれてしまいます。
自分なんかどうせ、頑張っても意味がないと自分に自信を失っていきます。そうすると日々学校などで頑張る意味を見失っていきます。やがて進路選択時にそれが顕著に表れます。自分のもつ可能性に蓋をしてしまう子が多いと感じています。
 
また、貧困は連鎖をしていきます。お金という面もそうですが、文化的な側面も連鎖します。
毎食がコンビニ弁当、中学を卒業したら働くのが当たり前、自分は大切にされない存在といった世界が、彼らにとっての当たり前なのです。こうした環境で育った子が親になり、その価値観がさらに子へと伝播していきます。
私たちと関わった子は、社会には自分に親切にしてくれる人がいるんだ、スーツ着て働いてる人がいるんだ、と思う子が多くいます。
彼らが育った世界とは違う世界もある、ということを見せていくことが大事です。
そのため、私たちは時間をかけて丁寧に、「あなたは大切な存在なのだ」ということを伝えていきます。
また、私たちの活動の一部ですが、様々な大人に出会うことや機会に触れることで、学ぶ楽しさを子ども達に感じてもらうことに取り組んでいます。
過酷な環境にいた子が私たちと出会い、こうした機会に触れると一気に変化していくことがよく起こります。
子どもの貧困は様々な要因が複雑に絡み合っており、これをすれば解決といったことは難しいと思っています。
 
・PIECESの活動で子ども達へどのような影響がありましたか?
 
私たちは、コミュニティユースワーカーが中心となり、子ども達と途切れない関係を作っています。長い子だと5、6年関わっています。最初中学生だった子が、今は短大を卒業し、これから社会人になろうとしている子、子どもが生まれた子、大学進学を目指している子、だけでなく高校を中退した子、学校に行けなくなった子など様々な子と関わってきました。
PIECESでは、まず彼らが安心できる場、否定されず、ありのままを受け入れてくれる居場所を作っています。そうすると自然に、悩んでいることを相談してくれたり、こんなことやってみたいという興味関心を教えてくれたりすることがあります。人を信じることができなかった子が、人に悩みを打ち明けたり、お金もなく自分に自信のなかった子がやりたいことを話せるようになるといったことが起きています。
 
例えば、プログラマーになりたいと言った子に対して、エンジニアを紹介し、プログラミング教室を定期的に開催しています。今では自分で頑張ってバイトをして貯めたお金でパソコンを買って大学進学をしようとしている子もいます。また、最近では10代のシングルマザーのサポートもしており、地域のお母さんなど子育てに関わってくれる人、10代ママの進路のサポートをしてくれる子を集め、子育てを一人で抱えこまないように体制を作っています。10代ママサロンも不定期で開催しています。
PIECESの場に来ることで多様な大人に出会い、自分を認めてくれる場、やりたいことをやりたいと言っていい場、興味関心が広がる場と思ってくれている子が多いです。
 
・     周囲にどんな協力を呼びかけたいですか?
寄付も大事だけど、人の時間が大切
PIECESとしてこれから寄付を集めていくのですが、お金と同じくらい子ども達に関わってくれる「人」が大切になります。多くの人が子どもと関わり、温かい関わりを続けてくれる人たちが増えていくことで、社会全体で子どもを育てていくことができるのではないかと思っています。
家族だけが子どもを育てるという概念から、家族以外の大人も子育てに関わるということが増えていくと、家族の概念が変わると思います。
一人の子の周りに家族以外の多様なサポートしてくれる大人と、子育て支援や学びの機会にアクセスできるためのお金がどの子の周りにもあるような環境が作れたら、と思っています。

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2016年07月26日 06:10 |コメント|

東京伝統工芸指定 江戸刺繍

東京刺繍協同組合

伝統工芸士 辻口良保さん

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辻口さんの作品を最初に目にした時、その繊細さよりも作品を作っている人の「優しさ」が全面に感じられました。江戸刺繍と辻口さんが一緒に歩んできた道を聞いてみました。

 

・江戸刺繍と辻口さんの関わりを教えてください。

先代は長く歌舞伎座の衣装への刺繍をしていました。1か月前くらいに演目・衣装が決まると、どのような刺繍になるか分かります。決まった模様をいくつも事前に作っておいて、幕開け直前に徹夜で衣装に縫い付ける、そして観客が並んでいる中で納品するという自分達の刺繍がないと歌舞伎の幕が上がらない、という大切な1面を担っていました。そのころからミシンが登場し、値段競争が始まりました。

 

バブル期には呉服屋さんからの発注が増えました。そのころまではまだ、オーダーに応えていくことをしていけばいい時代でしたね。

家紋を縫うことも祖父の代からやっており、自然にそれもやるようになりました。紋というのは、昔は親方が型を作り、職人はその型で刺繍するという流れでしたが、現在では親方・職人という形態がほとんどなくなり、職人は型も作り刺繍もしています。さらには紋の職人さんと、模様を刺繍する職人さんが自然と分かれるようになり、それぞれ得意とする刺繍職人になっています。

次第に着物の需要が少なくなり、発注が来なくなり、現在ではほとんど作品を展示会で見てもらい、気に入ったら買ってもらう、というような流れになりました。その展示会も年に2、3回しか開催されないので、販売する場が少なくなりました。

今はお弟子さんを持っていないですが、刺繍教室で一般の生徒さんを教えています。

人間は不思議なもので、できないと思ったことができるようになるんです。どんな立派な刺繍でも作れるようになるんです。必要とされて習うことができれば、一番ですよね。

 

・老舗の江戸刺繍の血筋を受け継いでおられるわけですね。

壁の写真見てもらえばわかるけど、この1歳の子供が僕なんです。周囲にいるのは全部職人さんなんですよ。祖父は弟子を育てていましたね。松宇を屋号にして18代以上続いています。この写真は戦争が始まる前で、丁度糸が入手できなくなった時代でした。

僕は長男だったので、生まれた時から家業の刺繍を継ぐ、ということに決まっていました。実際に商品として売るようになったのは後のことですが、針を持ち始めたのは中学校の時からでしたね。人間ですから、いろいろいやだなと思い一度離れたこともありましたが、でも結局戻ってきましたけどね。

ちなみにこの写真に写っている旗がまだあるんですよ。100年前の旗ですが、まだ金色の文字がきれいに映えるでしょ?

 

・江戸刺繍の中でも辻口さんが得意としていることはどんなことでしょうか?

お客様の好みに合わせ、喜んでいただける物を作り出す、ということを大切にしています。時には頭をひねるような、眠れなくなるようなオーダーが来るときもあるのですが、できないことはないように工夫しています。細かくできるか否かというよりも、図案に合わせた色、糸を選んで縫うということにこだわっています。

 

・これまで長く携わってきて、どんなご苦労がありましたか?

何度も「もう辞めようか」という瞬間があり、自分よりも若い職人までもがどんどん辞めていく姿を見ると、心が張り裂けるような思いをしてきました100人いた職人が今では24人しか残っていません。

刺繍が必要とされなくなる時代、ミシンで代用し安く大量生産の時代になり、世の中のニーズが変化してきたのです。「○○の呉服屋さんの専属」というのが昔はステータスで、あそこの仕事ができるから、大したもんだという言われ方をしていたんです。今でも三越と関係を保ち、一握りはそういう働き方をしている職人さんはいます。

 

昔は呉服屋さんから着物の刺繍で発注があったため、私たちはそのオーダーに対応するだけでよかったのですが、今は売る側(問屋)が諦めて店を閉めてしまう時代。職人は置き去りにされ、売るという仕事をしてこなかった中でどう販路を拡大していいのか、という苦労があります。刺繍の仕事はただ縫うだけではなく、図案・型を作るという手前の作業が難しいという実情もあります。

伝統工芸は引き継いでいくのが当たり前、と思われがちですが実際は食べていくために刺繍をする、ということが不可能な時代になったのです。

 

・今は主にどんなところで需要がありますか?

それは職人でも迷っているところがあり、試作品を思いつきで作っている状態です。また職人さんによっても違いますね。

バッグ、日傘、マフラー、羽子板、ランチョンマットなどこれまでに作ってきて、できないものはありません。でもシルク糸の刺繍は洗うことができないので、それが注意点ですね。例えばジャケットなどにワンポイントの刺繍を入れるということもできるんですよ。

世界に1つしかない、2つと同じものが生まれないという価値に共感し、その良さを知っていただける方にお求めいただいています。

何が流行っているから作るというより、何をできるか、ということを模索しながら進んでいます。

 

・現代の伝統工芸のあり方について、どのようにとらえていますか?

「着物を着なくなった、だから帯をしなくなった」というこの根本的な原因がダメだという考え方が根付いてしまっています。もちろん若い職人がいないという課題もあります。それ以上に呉服屋との関係は20年前くらいになくなり、番頭さんがいて、親方がいて、その下に職人がいる、という構図は消えたという事実があります。上が全ていなくなり、職人1人で全てやるというのは難しいと感じています。

 

伝統工芸を残していかなければいけない、という動きがあるが残していく意味や残し方に迷っています。行政に例えば「展示会で実演してください」と言われても、職人はなかなかやる気が起こりません。また観客から「素晴らしい、気が遠くなりそう」というフィードバックをもらっても、それが何かにつながっていかないです。

 

・江戸刺繍を見た海外の方に何を感じてほしいですか?

こういう刺繍もあるんだよ、ということを知って現物を見てほしいです。私たちは数を多く作ることはできませんが、でも1つの作品を丁寧に、気持ちを込めて縫うことができます

お値段はミシンの物より高いですが、そこに価値を感じていただければ嬉しいです。

 

・長い間続けられてきて良かったなと思うことは何ですか?

仕事をしている限り、生きている感じがします。やっていることに夢中になり、自分の作るものを待っている人がいることが嬉しいです。沢山の人との出会いがあり、長く続けている仕事が趣味でもありますね。

 


2016年07月19日 05:46 |コメント|

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